作品の閲覧

「800字文学館」

モーツァルト書簡全集

川口 ひろ子

18世紀末、旅に明け暮れたアマデウス・モーツァルトと、父レオポルト・モーツァルト。2人の間に交わされた手紙を基にした、日本語版『モーツァルト書簡全集』(白水社)は、24年の歳月を経て2001年に全6巻が完結した。
海老沢敏、高橋英郎、両氏の編訳によるこの全集は、単に手紙が翻訳されているだけではなく、要所々々に、関連する記録文書などが収録され、その上に丁寧な注と解説が添えられている。私たち愛好家にとって大変貴重な本である。

 第1巻は神童誕生から12歳頃までの記述で、すべて父レオポルトによって書かれている。
 6歳のアマデウスがウイーンの宮殿で御前演奏をした時に、女帝マリア・テレジアの膝に飛び乗り、首に抱きついてキスをした、というエピソードを、父は「これは作り話ではありません」と、得意満面で郷里に書き送っている。
 なお、転んだところを、後にフランス革命の断頭台に散った2歳年上のマリー・アントワネットに助け起こされ「親切な人だね。大人になったらお嫁さんにしてあげる」と言ったという有名な逸話は、この手紙の中には見出せない。後の伝記作家の創作で、真偽の程は不明とのことだ。
 第2巻はイタリア旅行中の手紙。
 第3・第4巻には、アマデウスが、ドイツ、フランス方面への演奏旅行中に、故郷ザルツブルクに残る父との間で交した往復書簡である。
 息子の才能は、神が与えた奇跡であり、それを世間に知らしめることが自分に課せられた使命であると確信していた父は、こと細かに彼を管理しようとし、日々成長する息子は命がけでこれを拒否する。父を乗り越えて突進するアマデウスの気迫のこもった啖呵も鮮やかで、最高の青春ドラマ、全6巻のハイライトだ。
 第5・第6巻には、ウイーンでの成功、そして、死の年までの手紙が収められている。

 稀有の天才の栄光と挫折を語る『モーツァルト書簡全集』は私の宝物。
 出来る限り、毎日頁を開き、父と子の生涯に思いを馳せたい。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧