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「800字文学館」

さようなら吾妻渓谷

内藤 真理子

 11月上旬に吾妻渓谷に紅葉狩りに行った。山の上の方はもう枯れて茶色くなっていたが、渓谷はちょうど見ごろだった。国道十五号線脇の展望台や橋の上から見下ろす景色は、清流を望む切り立つ崖に赤や黄色に色づいた木々が枝を伸ばし、光に映えてそれは美しかった。十五号線は、草津などに行く時にも度々通る。吾妻渓谷あたりでは、片側の崖の上を列車が走り、トンネルが見える。そして道の中央に大きな木がある為、道路は上りと下りが木の両側に一車線ずつになっていて、自然を生かした風情のある愛すべき道だ。
 ところが、今回行ってみると、2014年11月18日より封鎖します。と書いてある。いよいよ八ッ場ダム建設で、吾妻渓谷はダムの底に沈んでしまうのだ。

 10年くらい前に来た時は、川原湯温泉駅からしばらく歩くと、渓谷を眺められる蕎麦屋があった。そこで名物のマイタケそばを食べ、対岸の山に登るつもりだ、と言うと、店の人は、ニホンカモシカに、出会えるかもしれないと言う。危なくないのかと聞くと、おとなしくて可愛いもんですよと、慈しむように言っていた。
 成程、登り始めると道の前方の広いところに、ぼてっと太めのニホンカモシカがいた。カメラを出して写真を撮っていると、気配に気づいてさっといなくなった。私は怖くなって引き返してしまったのだが、その時の川音と、木立ちの静けさを今も思い出す。

 近くに新しく「道の駅・吾妻渓谷」が出来、吾妻渓谷散策コースとあったので、車を置いて行ってみた。はるか下に渓谷を望む、広々と整備された公園の中の道には、もみじ、ナナカマド、ドウダンツツジが、植えられ真っ赤に色づいていた。ダムが出来た暁には、ダム湖周辺散策コースと名前を変えるのだろう。

 帰途に通った真新しく広い道路、沢山の巨大な橋、川の両側のトンネル。ダム一つ作るのに、こんなにも公共投資をしなければならないの? そもそもダムは必要なの? 様々なハテナが、頭の中を行き交った。

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