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「800字文学館」

漱石が読んだヴィクトリア朝の奇書

平尾 富男

 仲間が30年も昔に立ち上げた、英文学の大作を原語で読む会に入って7年になる。今年から読み始めたのは、英国ヴィクトリア朝の奇書”The Life and Opinion of Tristram Shandy, Gentleman”( 『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』)である。作者はLaurence Sterne(ローレンス・スターン)。

 漱石をして、「今は昔し十八世紀の中頃英国に『ローレンス・スターン』といふ坊主住めり、最も坊主らしからざる人物にて、最も坊主らしからぬ小説を著はし、其小説の御蔭にて、百五〇年後の今日に至るまで、文壇の一隅に余命を保ち、文学史の出る毎に一頁又は半頁の労力を著者に与へたるは、作家『スターン』の為に祝すべく、僧『スターン』の為に悲しむべきの運命なり」と*書かしめた全九巻からなる長編小説なのだ。(*『江湖文学』明治30年3月)
 かのカーライルがスターンを「セルバンテスと並ぶ世界の二大諧謔家である」と言った、と漱石は紹介している。その作品『トリストラム』は、20世紀初頭に「意識の流れ」の文学的潮流を生み出したジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』や、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』へと繋がる先駆的作品として評価されている。
 18世紀英文学を専攻したとは言え、漱石が『トリストラム・シャンディ』を既にロンドン留学以前に読んでいたことには驚かされる。その後の日本では、1966年に筑摩書房の世界文学大系に朱牟田夏雄の全訳が掲載出版されるまで、翻訳も書籍紹介もほとんどなかったのだ。
 奇書と称される理由は、トリストラムの自伝という体裁を取りながらも本人が生まれるのは第三巻(全九巻中)を過ぎてから、しかも脱線に継ぐ脱線で、その脱線振りをグラフで表したり……。史上最も型破りな(反小説的)作品なのだ。

 さて平成の我が読書会では、ペーパーバック版で本文500頁を超えるボリュームを、毎月1回当たり8頁程を英国人舞台俳優が朗読する録音を聞くところから始めて、2時間掛けて勉強する。完読するまでには6年以上は掛かるだろう。果たして会はそれまで存続しているだろうか。

(2014.12.11)

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