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「800字文学館」

蕎麦を「たぐる」

首藤 静夫

 友人から誘いがあった。浅草の「駒形どぜう」で鍋をつつきながら往く年を惜しもう、という提案である。一も二もなく賛成した。
 ところが友人は、どぜうの前に近くの藪蕎麦で1枚タグッテから行こうと言う。酒は空腹で飲むのがうまい、と思っている私は面食らったが、それにまして蕎麦を「タグッテ」という言葉に、ひっかかった。その言葉をいつ聞いたか、しゃべったか。
 綱をたぐる、糸をたぐる、などは日常語だったと思うが、いつの頃からかほとんど聞かれなくなった。それを友人が当然のように使う――蕎麦で。細長いものどうしといっても蕎麦に使うのだろうか。
 気になるので広辞苑などで調べた。蕎麦は「たぐる」「すする」「のど越しであじわう」と立派にあった。何でも江戸時代、土蔵の壁を作る工程で、剥落防止用に「下げ縄」と呼ばれる縄を多数ぶら下げたそうだ。箸で持ち上げた蕎麦の姿から、この縄が連想されたようで、下げ縄が蕎麦の隠語となったのだと。縄だから「たぐる」である。
 食べる言葉には、このほか、摂る(食事)・かきこむ(丼)・しゃぶる(するめ)・かじる(林檎)など、情景豊かな言葉がたくさんある。いずれ使われなくなるのだろうか。
 若い人たちの会話を聞いていると、その言葉、さっきもどこかで、と思うことがある。(メッチャ・ヤバイ)(スゴーイ)(マジっすか)(ソウナンダ)などの連発。――ロボットに言葉を覚えさせるのは案外簡単そうだ。

 向田邦子は消えつつある言葉を残そうと、TVの脚本には昔ながらの言葉を意識的に使っていたという。久世光彦が随筆で紹介している。例えば、
 ――昵懇、横着、甲斐性、じれったい、きまりが悪い、腑に落ちない、強情、癇癪を起す、癪の種、一丁前、粗相、宗旨替え、料簡、芸当、息災――
 私も当ペンクラブのはしくれなら、日本語を大事にして余韻の残る文章を作りたいものだ。とはいえ、それは来年からにして、今は藪蕎麦とどぜう鍋に集中しよう。

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