作品の閲覧

「800字文学館」

みかん山

川口 ひろ子

 いつ何があってもおかしくない年齢となった同窓のK子と私、ならば二人の故郷・静岡のみかん山に登り富士山を眺めて過ごそうと、小さな旅に出た。
 東京駅でたった3人のお客を乗せた東名ハイウエイバスは、渋滞にあうこともなく順調に走行し、定刻通りに富士川サービスエリアに到着した。
 北に富士山を望み、眼下に富士川を見るこのサービスエリアからの眺めは、息をのむ素晴らしさだ。真っ白な雪をかぶった富士の山が広大な裾野を駿河湾にまで一気に広げ、その先に霞んでいるのは箱根、伊豆の山々だ。

 K子の実家はこの地のみかん農家で、山を下りた旧東海道に面して旅館も経営していた。隣町に住んでいた私はよく遊びに行き、畑の隅に座って延々とおしゃべりを楽しんだ。夏目漱石の解釈で大喧嘩をしたとK子は言うが私は全く憶えていない。
 みかんがこの地の重要な地場産業で、清水港からアメリカやカナダに輸出していた頃だ。北陸方面から大勢の季節労働者がやって来て収穫を手伝っていた。以来60余年、K子は結婚して横浜に住み、弟たちは都会で公務員となった。みかん山は東名高速道路のサービスエリアになり、旅館は道路拡張のため取り壊された。

 お土産用のみかんの売り場を探す。しかし、入口に少しあるだけで、まったくの拍子抜けだ。付近のみかん農家はK子一家のように転業してしまったのだろうか? 奥の方の山で、まだ少しは作っているのでは、と、K子は素っ気ない。
 大型車が大量に行き交うためか、揮発性の臭いが鼻を刺激し、喉もおかしくなってきた。現在ここが、日本の大動脈・東名高速道路であることを思い知らされる。ここ半世紀で日本の姿は大きく変わった。みかん山は時代の波に飲み込まれて消えてなくなり、物流と観光の一大拠点として再浮上した、ということであろう。

 みかんは外れであったが、秀麗な富士の山はあの頃の姿のままだ。嬉しい限りだ。
 昔話に興じながら、日が暮れるまで眺めて過ごした。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧