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「800字文学館」

P遺伝子(Pacifistic DNA)

池田 隆

「人はなぜ殺し合うのか」
 自衛権やテロなどの平和問題を真剣に考えると、必ずこの命題につき当る。ヒト科やチンパンジー以外の哺乳動物は同種同士で争っても、相手を殺さない。それゆえ全ての生物が保有している個体保存や種族保存の本能が人の殺し合う理由ではない。
 動物は種や個としての経験から得た感性で行動する。人類のみが感性に理性を加え行動する。理性が殺し合いの原因か。分らない。
 幾多の偉大な聖賢や思想家もこの問題に的確な解答を与えていない。例えば旧約聖書ではそれを人間の原罪とし、荀子は人間の性悪説を唱えて、片を付けている。ただ「人を殺す勿れ」と、道徳律を述べるだけである。

 進化論に基づけば、同種間での殺し合いを禁じるP遺伝子(注参照)が存在する筈である。それを持つ種のみが生き残り、持たない種は絶滅する。
 ただ人類の歴史では野蛮で武力の強い集団が平和な国家を滅ぼしてきた。一方、他の動物ではP遺伝子をもたない強い方も絶滅した。その違いは何故か。
 P遺伝子が無ければ弱い側も反撃し、相手にダメージを与える。そのような争いを互いに繰り返すうちに、P遺伝子のない両者は共に衰退したと考える。
「三十六計逃げるに如かず」という。たまたまP遺伝子を持つ一部の個体が強者からひたすら逃げ、運よく生きのびた。その子孫が現存する動物たちである。
 六千五百万年前から哺乳動物が繁栄を始めるが、ホモ・サピエンスが出現して未だ二十万年である。人類は今も進化の途中で、好戦集団が大多数を占め、P遺伝子を持つ非暴力集団は希少なのである。
 自然淘汰に頼ると、運よく人類の全てがP遺伝子をもつようになるとしても数百万年後だろう。その前に人類全てが絶滅する可能性の方がはるかに高い。人類は霊長類と自負しても絶滅危惧種である。
 それならば全ての人間にP遺伝子を人為的に組込めないものか。遺伝子操作は嫌いだが、人類存続の為ならば仕方あるまい。

(注) 「P遺伝子」とは本文で初めてその存在を予言した遺伝子に名付けた新語である。

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