作品の閲覧

「800字文学館」

聖地ベナレスにて思う ~仏教~

斉藤 征雄

 ベナレスは仏教にとっても聖地である。仏典によれば、ブッダガヤーで悟ったブッダはベナレス郊外にあるサールナートへの200キロの道のりを歩いてやってきた。そこで苦行時代を共にした五人の出家者達に最初の説法を行い、彼ら五人がブッダの最初の弟子となる。

 そこでの活動はそれだけではない。長者の子ヤサの出家の説話がある。大富豪を父親に持つヤサは、多くの侍女にかしずかれ女と酒の快楽に浸る毎日であった。ある夜いつものような酒宴のあと夜中に目が覚めると、昼間は着飾って美しく見えた侍女たちがいぎたなく眠りこけ、あまつさえ饗宴の狼藉のあとを目にすると、ヤサは突然来世の不幸の恐怖に襲われてブッダのもとに駆け込んで救いを求めた。ヤサがブッダの六人目の弟子になると、彼の妻や父母も在家の信者になり、さらにヤサの友人たちが次々に出家してブッダの弟子になったという。

 ベナレスは仏教教団の旗上げの地になったのである。現在サールナートには当時の僧院の遺跡とブッダのストゥーバがある。そして近くの博物館には、深く仏教を信仰し保護したアショーカ王が建てたとされる石柱碑と柱頭に刻まれた獅子の彫刻が陳列されていた。ここは確かに仏教の聖地だったのだ。

 ブッダは何故悟りの地から遠く離れたベナレスで旗揚げしたのだろうか。たまたま昔の修行仲間がいたのかも知れないが、それよりもベナレスが当時のバラモン文化の中心地であったということが大きな理由と考えられる。  無我を説くブッダの説法は、バラモン教などの既存の価値観を真っ向から否定するものだった。その思想が急進的であるがゆえに、ブッダは敢えて既成の宗教の中心地ベナレスで最初に行動を起こして、彼の宗教活動の出発点にしたのだろうと推察される。

 ヒンズー教の聖地でもあるベナレス、その郊外のサールナートに静かにたたずむブッダのストゥーバの姿を目の当たりにすると、当時のブッダの並々ならぬ決意が感じられるような気がした。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧