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「800字文学館」

「何でも書こう会」二十年の歩み

野瀬 隆平

 素人のなぐり書きに近い原稿を、どのように本にまとめるか苦労していたクラブの世話人代表、八木は文章の練習をやかましく口にするようになった。
 1992年8月に、毎日新聞OBの石川が講師となって文章教室が発足したのは、このような背景からである。3年ほど続いたが、石川が長くなるからと辞意を表明する。
 勉強会をどのように継続させるか議論の結果、題材・文体は自由形式で、800字の原稿を各自が提出し、それに対して出席者が自由に発言する。
 ただし単なる反対や誹謗は慎むという会の方針が決まった。

 初代のプロマネ(幹事)となった浅野が、この会を「何でも書こう会」と命名した。記念すべき第一回の会は、1995年11月16日に開催された。ちなみに、参加者は18名で、現在も当クラブの会員であるのは、岩崎と中川路の2名だけである。
 月一回開催される会は、単に文章力の向上だけでなく、会員相互のコミュニケーションの場となり、活発な議論はアフター・ファイブだけに留まらず、深夜に及ぶこともしばしばあった。
 文章を批判し合うことによる拒否反応も懸念されたが、自分の作品に対する論評を一切拒否して退会にまで及んだのは1名だけだった。

 当初は、参加者が事前に各自の文章を提出し、プロマネが全員の作品をプリントして綴じたものを、勉強会のメンバーに郵送していた。大変な労力を要する作業だ。浅野が奥さんの協力を得ながら、ボランティアとして精力的に取り組んだ。
「これは私の生き甲斐です」と、あくまで続けることを主張していたが、本人の体調不良を機に、2000年、新山が新しいプロマネとなり、当日原稿を持参する今日のスタイルに変更した。

 2005年11月、プロマネを野瀬が引き継いだ。その後大月が加わり、2010年から現在の大月・大越・志村の3人体制で運営されている。
 なお、参加者が多くなり、月一回の開催では消化しきれなくなったため、2010年11月から、月二回の開催となった。

中川路氏のメモを参考にした。

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