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「800字文学館」

デ・キリコの謎

新田 由紀子

「絵が理解された時、沈黙が支配するだろう。その時、光・影・角度のすべての謎が語り始める」とデ・キリコは自らの絵を語る。脈絡のない物体を画面に配し、交錯する遠近法と濃い影が特徴的なその絵は、観る者の心にコトリと落ちて響き、ここでも遠くでもない秘かな場所にいざなう。
 広場、塔、彫像、アーケードのある建物、製図用具やビスケット、そしてマネキンといわれる人体模型。のっぺりと描かれるそれらのオブジェは現実感を欠き、静謐な画面に憂鬱な影を引く。背景には神話を思わせる暗緑色の空。地平線は薄明るく、何かの予兆を孕む。よく見ると、汽車が走り、人物が立っている。場違いな椰の木や帆船も登場する。唐突に置かれた荷車の中には何が潜んでいるのか。舞台のような画面は謎に満ち、とまどいと不安が立ち昇る。これが、彼自らが「形而上絵画」と呼ぶ初期の作品群である。
 ジョルジュ・デ・キリコ(1888―1978)は20世紀を代表するイタリア人の画家で、ギリシャに生まれた。欧州各地を転々として絵を学び作品を描く。初期の一連の「形而上絵画」はアンドレ・ブルトン、ルネ・マグリット、サルヴァドール・ダリなどによるシュルレアリズム芸術の先駆と絶賛されるが、後にルネサンス絵画やバロック美術に傾倒して画風が変わる。裸婦や静物などを精緻な写実的技法で描き、その変容はシュルレアリストたちの酷評を浴びた。
 円熟期には「形而上絵画」に新たなイメージを加えて発展させる一方で、古典画法により古代的情景や暗示的な作品を描く。晩年のモチーフ「燃え尽きた太陽」は実に奇妙だ。太陽と地面に落ちた影がコードでつながっている。遺作の一つ、顔一面に神殿や円柱を詰めた馬の頭部の絵は自画像とも言われる。地に堕ちた太陽、そして古代を抱えて遺跡の沈む海辺に悲しげに佇む馬。陽光溢れる生地ギリシャへの郷愁を込め、謎をも超えて、デ・キリコは自らのルーツへ回帰する。

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