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「800字文学館」

20ドルのステーキ

平尾 富男

 パスポート持参でステーキを食べに行った。誘ってくれたのは友人である歯科医。その患者の1人が、アメリカ軍人の寡婦だからコネがあるというのだ。場所は根岸米軍住宅地域内のレストラン。森林公園に隣接した環境のよさそうなところ。山手の高台にあり、旧競馬場跡もすぐ近くだ。
 友人の女性患者の案内でゲートに向かう。軍服姿の黒人の守衛が用紙を差し出し、名前、住所、パスポート番号他を書き込むようにとニコニコしながらウィンクする。居住者と米軍関係者以外の日本人がここに入るためには、当然のようにパスポートの提示を求められる。日本国内にありながら日本ではない場所なのだ。
 ゲートを通り広大な敷地に入ると、すぐにコミュニティ・センターがあり、目指すレストランの他に、マーケット、図書館、銀行、郵便局などが付設されている。週日の夕方のせいか、敷地内には人影がなく閑散としている。
 レストランに入ると、ビールのジョッキーを手にした2人の中年日本人女性客が我々を迎えた。一緒に行った婦人と似たような境遇の女性たちだ。女性3人は横浜市内に住んでいて、いつもこの米軍住宅の施設を利用しているらしい。だだっ広いレストラン内には我々以外に、遠く離れた席に4、5人のアメリカ人家族らしいグループだけが今宵の客として陣取っている。
 早速ビールを注文し、ジョッキーを傾けながら食事のメニューをチェックする。8オンスの牛ヒレステーキが20ドルとあり、2人がそれを、他の3人が同じ値段のT‐ボーンステーキを注文することにした。この値段でサラダかボイルド・ポテトを選べる上に税無しなのだ。サイドオーダーとしてオニオン・リングを2皿注文して、5人でシェアする。
 250グラム近いステーキは、若くないグルメ達には少々大きすぎる肉塊であるが、想像以上に柔らかく美味しい。全員が完食したことは言うまでもない。
 女性陣の1人が代表してドル紙幣で支払い、他の女性2人もそれぞれ総額の1/5をドルで、男性陣2人は日本円に換算した額をその女性に円で返した。

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