坂東三津五郎の訃報
坂東三津五郎の訃報が日本全国を駆け巡った。先に團十郎、勘三郎を失い今度は三津五郎である。素人歌舞伎ファンの私としては残念という言葉以上に無念だ。本当に惜しい。59歳という年齢は歌舞伎役者としては一番脂の乗っている年齢だ。
私が彼の最後(これが最後になるとは思っていなかったが)の舞台を見たのは平成25年の4月に新装なった新歌舞伎座であった。演目は『お祭り』で奇しくもこれは「十八世中村勘三郎に捧ぐ」というものだった。一番仲の良かった、そして一番頼りにしていた勘三郎を失い、追悼の意味があった。
『お祭り』は赤坂日枝神社の山王祭が舞台である。当時は二年に一度のお祭りで、大勢の参拝客がここぞとばかりに華やかに踊りまくる。清元延寿大夫の浄瑠璃、清元栄三の三味線と清元社中の息のあった演奏が見事でこの舞踏劇を盛り上げる。
三津五郎は鳶頭、鶴吉を、橋之助が亀吉を、獅童が梅吉を、松吉を勘九郎が演じ、また芸者連には福助、扇雀、七之助、巳之助と華やかな顔ぶれ。柿落としに相応しい踊りだ。大江戸の賑わいを今に踊りも豪華絢爛だ。
三津五郎の踊りは日本一だと思う。踊りの名手と言って良い。勧進帳で弁慶のような役もこなすが、彼の真髄は踊りだと思う。坂東流の家元でもある。踊りには優雅さと何よりも品がある。かつては勘三郎が鶴吉を演じたこともあった。三津五郎が踊るひとつひとつの所作を、獅童と勘九郎が真剣に見ていた眼差しが印象に残った。踊りの師匠と見ていたのだろう。
これから歌舞伎を発展させるために欠かせない重鎮が、次から次へと姿を消すのは、新歌舞伎座の裏に建てられた高層ビルにあるのだという歌舞伎ファンがいる。あのビルがあたかも墓石に見えるというのだ。能や文楽など古典芸能が企業としては赤字で苦しんでいるのに、歌舞伎だけは営業成績が良い。やっかみから出た言葉と思うが、もうこれ以上国宝級の芸達者な歌舞伎俳優を失いたくない。