柚子は九年で花が咲く
葉室麟の作品を読んでいる。昨年の夏、世評の高さに惹かれて『蜩の記』を読み、感銘を受けて以来読み続けている。半年の間に、今数えてみると7、8冊読んだ。いずれも読み出すと止まらなくなる。夜、布団の中で読むのはいけない。読み出すと眠れなくなるのである。
なんといっても読後感が爽やかだ。澄んだ秋空の下で涼風に吹かれる心地がする。そこでまた次の作品を読みたくなる。かつて、山本周五郎を読んでいた頃もそうだった。
表題の言葉は、作品『柚子の花咲く』に出てくる。作品の舞台となる地方で人々が言い慣わしてきた言葉だという。「桃栗三年柿八年」に加えて、「柚子は九年で花が咲く」と続けるそうである。
この言葉が好きになった。葉室麟の全作品の底辺に潜む言葉でもある。
作品に出てくる主人公は、いずれも声高ではない。どちらかといえば目立たない。目立とうとしない。学問も剣術も長い年月をかけ努力して身につけていく。主人公は、次第に自他ともに気づかないうちにいぶし銀のような存在になってくる。
お家騒動、藩政改革をめぐる話が多い。山本周五郎、藤沢周平と同じである。主人公が長い忍耐と周到な準備をかけて事の成就を図るところは、山本周五郎の『ながい坂』『樅の木は残った』を思い出させる。
封建の時代という制約の中にあって、与えられた分を守りつつ、私を捨てて何事かをなそうと懸命に生きる武士の姿に作者は寄り添っている。封建の美徳を賛美するのではと、異論もあるかもしれない。しかし、作者の文章の行間から浮かび上がる武士の凛とした姿はあまりに美しい。
作者は、自分の好きな古い和歌、漢詩をときに引用する。次の歌には、葉室麟の思いが託され、感性をも説き明かしているようだ。
花をのみ待つらむ人に山里の
雪間の草の春を見せばや 藤原家隆
また、「香」を登場させている作品がある。「香」は古の世界に人を誘うという。作者は、忘れられた日本人の美しさを「香」に聞き取っているのではないだろうか。
(平成27年2月26日)