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「800字文学館」

二度目の髭面

川村 邦生

「あれ、誰も気づかない」と思いつつ話が進んで食事会は終了した。帰路同じ方向に帰る仲間は、電車で隣に座って話し込んでいたがそれでも気づかない。
 一昨年春、入院した時から髭を伸ばし始めた。人生二度目の髭面は完治するまでのつもりだった。退院後は、まだまだと勝手に決めて剃らずにいた。しかし、どうしても髭面では具合悪い事態が生じ、やむなく一年十カ月ぶりに髭を剃った。
 入院以前の昔顔になり、行事は無事に終わった。翌日は仲間との食事会が予定されていたので、「どうしたのだ、何かあったのか」と聞かれるだろうと思っていたが、誰も何とも言わない。そんなものかな―。みんな無関心なんだ。

 最初の髭面はインド駐在時だ。東洋人以外の外国人から見て我々の顔は若く見えるらしい。インドで商談時、若造が交渉相手だと侮られかねない。某商社の仲間から大変な経験談を聞いた。小柄でポッチャリ丸顔の彼は、旅先のガイド兼運転手から暴行強姦を受けそうになった危険な経験をしたのだ。その話を聞き危機感を持ってすぐに髭を伸ばした。
 駐在中は問題なかったが、一時帰国の時、本社出勤で問題が生じた。ゴルフ焼け、ジャケット姿の髭面紳士は、丁度株主総会前でピリピリしている時期、受付で入館を止められた。そのすじの方と間違われたのだ。当然であった。仲間に当社の社員だと言ってもらい無事入れた。

 髭剃り後、懇親会等に参加している。相変わらず誰からも「どうした、何かあったのか」と尋ねられない。自分だけが気にし過ぎだと自覚した。人が自分の事をどう見ているか気になるものだ。顔、髪型、スタイル、服装、持ち物全てにだ。しかし人は本人が思うほど気にしていない。
 美容院から帰宅した家内に、変えた髪形に気づかず感想を催促された事が度々ある。
 これから気づいたら積極的に誉めていくことにした。特に女性は気づかれることを欲し、言ってほしいのだ、男の私でさえそうなのだから。一度心理学者に確認してみたい。

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