「春な忘れそ」
かすかな梅の香が境内にただよっていた。ここは、大宰府の天満宮である。本殿の左と右に植えられた紅梅、白梅が目をひく。白い花をいっぱいつけた右側の大きな梅の木の前には、ひときわ大勢の人たちが集まっていた。この白梅が菅原道真を神として祀る天満宮の御神木、「飛梅」である。
右大臣であった道真は藤原時平に陥れられて失脚し、大宰府に左遷された。都を離れるに際し、庭先の梅に別れを惜しんで詠んだ歌が、よく知られている
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
である。
その京の梅が、主を慕って一夜のうちに飛来してきたと言い伝えられている。
今回の旅では、ここ大宰府と京都の二か所の梅を眺めたいと思った。羽田から京都の上空を飛び越えて、最初に訪れたのが大宰府だ。
その後、京の梅としてどこの梅を見るのが最もふさわしいのか。道真が最後にめでた梅がどこにあるのか分からないので、同じく道真が祀られている北野天満宮の梅を見ることに。
北野天満宮にも大勢の人が参詣に訪れていた。本殿の前には、お参りする人の長い列ができていた。神前の鈴を鳴らしてお参りする人たちの列である。
「並んでいると時間がかかりますので、お参りするだけの人は直接本殿に行ってください」
と繰り返しアナウンスがなされている。
ところでこの二つの天満宮には当然、道真の故事を説明する札が掲げられていた。面白いと思ったのは、引用されている例の歌の表記が違うことだ。
大宰府では、いくつかある説明文のすべてが、「春な忘れそ」となっているのに、京都では「春を忘るな」になっている。
確か古文の授業では、「春な忘れそ」と習った記憶がある。同じ禁止を表わすのでも、単に「…な」というよりも、「な…そ」の方が、願望を込めた穏やかな表現であると教わった。
やはり、ここは「春な忘れそ」でなければならない。道真は大宰府に来て、わずか二年で没し、学問の神様として祀られることとなった。