日本にやってきたロシア人(3)(小野アンナ)
日本のヴァイオリン界で小野アンナ(旧姓アンナ・ブブノワ)の名前を知らない人はいないだろう。多くの日本人ヴァイオリニストの生みの親と言われた女性だからである。
小野アンナは1890年(明治23年)ペテルブルグでブブノワ家の3人姉妹の次女として生まれた。父はロシア帝国の官僚、母は貴族出身。姉ワルワラは詩人で画家、妹マリアはピアニストという芸術一家だ。語学と音楽に秀でた母の影響でアンナは5歳よりピアノの手ほどきを受け、10歳でヴァイオリンに転じ、13歳までペテルブルグ音楽院に学んだ。そこでヤッシャ・ハイフェッツなど有名なヴァイオリニストを育てたレオポルド・アウアーに師事し頭角を現し天才少女と言われた。なんと恵まれた環境か。
彼女が日本にやって来る契機となったのは、当時、ペテルブルグに留学していた日本人留学生、生物学者・昆虫学者の小野俊一と出逢い結婚したためである。二人は1917年に結婚、翌年、革命下のロシアを離れ日本にやって来た。ロシア革命の混乱の中、小野がアンアをヴァイオリンの勉強が平穏にできる日本へ連れてきたと言って良い。
来日してからの彼女の活躍は素晴らしい。子供たちのために小野アンナ音楽教室を開き、毎日新聞音楽コンクールの審査員、武蔵野音楽大学や桐朋学園高校音楽科・同短期大学で教鞭を執り、音楽の早期教育を提唱した。
小野アンナの門下からは戦前戦後を通じて、内外の楽壇で活躍する演奏家がキラ星のごとく出現した。諏訪根自子、巌本真里、前橋汀子、潮田益子らだ。
アンナの門下生達が創設した「小野アンナ記念会」があり、現在でもヴァイオリン教育のための演奏会を開いている。
「自分は演奏家というより教育者」という信念からレコードやCD類は残していない。
1960年、夫の俊一が亡くなったため、姉のワルワラと共にロシアに帰国した。俊一の姪にはオノ・ヨーコがいる。1979年89歳で永眠。