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「800字文学館」

海軍軍人と刀

稲宮 健一

 先日関内の県立歴史博物館にぶらりと立ち寄った。戦争末期に海軍の連合艦隊司令部ほか中枢部が日吉の慶応大学の地下に構築された時の数々の遺品が展示されていた。その内の一つに当時の将校の集合写真が飾ってあった。司令官が日本刀を握りしめて立っていた。

 戦争とは国家の意思を暴力に訴えてまで主張して押し通すことだと思っている。その結果として民族の存続が掛かっている。国家は戦争による破壊、損傷と、民族の存続を天秤に掛けながら、戦争の継続、講和を考えて行くべきだと思う。世間の通念では一度始めた喧嘩を理性によらず、感性で諸突猛進する猪武士は、思慮のなさでさげすんだものだ。

 日清、日露戦争の時代では常に国際情勢の中の日本を意識して、自らの意思で終結させた。この国家の意思を形成した学習効果は後世に伝わらなかった。日露戦争では白兵戦で勝ったと言う事実は伝承されてきた。その後、世界は第一次世界大戦があったが、大国間の矛盾は治まらず、次の戦争に備え、着々と軍の近代化に努めた。日本では国際間で、粘り強く交渉して地歩を固めることを捨て、海軍では日露戦の名残に執着して戦艦の大型化と、重装備化に邁進した。

 軍刀を抱えた軍人は、戦国時代の侍集団にたとえられる。侍はまず闘うこと、しかし侍を統率する軍師、即ち参謀は侍の犠牲を抑えて、戦果の最大を狙う。そのいい例が秀吉の備中の高松城攻めなどである。参謀を欠いた侍集団は只々闘うことが目的になる。軍刀を携えた海軍軍人はここのような侍集団になぞられる。内戦であるなら、一侍集団が全滅しても、他の集団が後を継ぎ、民族の存続は侵されない。しかし、この考えは国際間の戦争には適応できない。戦前は闘うことに意義を持つ、内戦にしか通用しない侍の精神構造(メンタリティ)が強く残っていた。

 戦前でも幣原外交があった。戦後は自衛隊の文民統制が確立した。これらの考えを徹底して、民族の平和共存を守ってほしい。

(二〇一五・四・一〇)

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