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「800字文学館」

日本にやってきたロシア人(4)(ワルワーラ・ブブノワ)

都甲 昌利

 ワルワーラ・ブブノワは私のロシア語の先生である。日本のヴァイオリン界の発展のために貢献したヴァイオリニスト・小野アンアの姉でもある。
 1886年ペテルブルグで生まれた。28歳でペテルブルグ帝室美術アカデミー卒業後は、モスクワ博物館研究員などを歴任、革命前後からロシア・アヴァンギャルド美術振興に参加した。地道な制作活動を続けている中、転機が訪れた。
 日本人の学者、小野俊一と結婚し日本にやってきた小野アンナが姉の作品を二科展に出展した。この油絵が入選したのを機に、1924年来日することになった。
 画家として活躍する一方、戦前戦後を通じて早稲田大学ロシア文学科や東京外国語学校露語部(現東京外国語大学)でロシア語講師として多くの学生たちを教えた。早大の教え子の中には湯浅芳子やで直木賞を受賞した五木寛之がいる。
 私がブブノワ先生にロシアを習ったのは大学1年の時からで、その授業は徹底的暗記でプーシキンなどの詩を暗唱させられた。最初は意味も分からず何度も何度も繰り返すのである。後から辞書を頼りに学習して、先生に解説してもらうというのが授業内容だった。ロシア人としては小柄で痩せていた。品のある顔立ちだった。性格もおっとりして大声を上げることはなかった。
 2年の時、同級生の友人が自殺をした。家が貧しく地方から出てきて寮に住んでいた。原因は失恋だった。クラス中に知れ渡り、ブブノワ先生も聞き及ぶことになった。
 先生は哀悼の言葉と同時に、自殺について語った。「自殺する人はエゴイストです。自分のことばかり考える人です。人は一つの原因では自殺をしません。貧困や未来への絶望など全てのものが、肉体や精神に打撃を与えるのです」。この言葉は今でも鮮烈に覚えている。
 国語の他にも英語、フランス語、ドイツ語にも精通し、シェークスピアやゲーテなども読んでいたという。単なる語学教師ではなかった。

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