吹かぬ笛の音
三月半ばに修羅物「敦盛」を観た。この能は、出家して蓮生法師と称する熊谷直実が須磨にて敦盛の菩提を弔うことがテーマとなっている。アイが語るところによると、平家方は戦の最中にも歌舞を楽しんでいた。源氏軍による一ノ谷からの奇襲に遭うと、争って海上へと落ち延びる。この時敦盛は御本陣に愛用の笛を置き忘れたことに気づき、取りに戻る。逃げ遅れて須磨の海辺で直実に討ち果たされた。弱冠十六歳だった。
この物語に関連して、芭蕉が句をよんでいる。旧暦四月に須磨を訪れた折、須磨浦を見渡せる所に登って三句よんだ。そのうちの一つが次の句。
須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下やみ (『笈の小文』)
須磨寺には敦盛の首塚がある。また愛用の笛が寺に納められたと伝えられている。芭蕉はうらぶれた須磨寺境内の緑蔭にて敦盛の最後に思いを馳せ、この一句を着想したのであろう。吹かぬ笛から悲劇に相応しい哀しげな音を聞き取ったと想像される。
敦盛愛用の笛が須磨寺の宝物館に展示されていることを知り、四月上旬に見に出かけた。笛は宝物館のガラスケース内、観音開きの扉がある筒状の入れ物の中に収められていた。黒っぽく、いかにも古びた笛だ。『平家物語』によると、小枝と呼ばれる笛が鳥羽院から祖父平忠盛に下賜され、父経盛から敦盛へと伝えられた。敦盛愛用の笛は当時から「青葉の笛」と呼ばれ、後々この名で人口に膾炙した。展示品が由緒正しい笛なのかどうか、はなはだ疑わしい。今や真偽のほどを確かめる手立てもないだろう。
兎も角も笛を見たことにより、気分が一段落した。見渡すと境内の桜は満開だ。須磨一帯の染井吉野は敦盛桜とよばれている。人々は屈託なく花見を楽しんでいる様子。晴れ渡った昼下がりのひと時、須磨寺本堂の濃い日陰に佇み、愛用の笛を吹く敦盛の晴れがましい姿に思いを馳せた。陽気のせいか、この時ばかりは笛の音が明るく高らかに響き渡ってくるような気がした。