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「800字文学館」

代々木の杜へ

池田 隆

 みどりの日の昼下がり、妻と散歩に出る。思ったより陽ざしが強く、木陰の多い代々木公園と明治神宮を行き先に選ぶ。
 渋谷行きのバスに乗り、原宿駅前で下車しかけたが、歩道は人の群れで立錐の余地もない。恐れをなし、一停留所先の代々木競技場前まで行く。人通りは減り、長い法面をツツジが紫に染めている。懸垂曲線で構成された丹下健三設計の建屋は半世紀経った今日でも斬新である。
 四十年前、土曜の午前中はここの水泳プールへ二人で通っていた。幼い子供たちを小学校に送り出すと家を飛び出し、正午までに慌てて帰宅していた事などを語り合う。
 渋谷門から代々木公園に入る。数年前のこと、青少年センターへ行く途中、この辺りで昼飯を食べようとコンビニおにぎりを買ってきた。ところが大勢のホームレスの人たちがボランティアから配られたおにぎりをパクついている。気後れして食い損ねたと話すと、妻は大笑い。
 中央の広い芝生はダンスを踊る若者たちや小さな子供連れの家族で大賑わい。昨夏のデング熱騒ぎの後遺症もない。周囲の木立では三々五々と、ベンチで語らう二人づれや犬を散歩させる人が緑陰を楽しんでいる。吾々もそこに加わり、外周を巡る。ここが以前は練兵場であった事など、想像もできないほど平和な光景である。
 原宿門を出て、明治神宮の正門へ。本殿は遥拝だけで済ませ、森を抜ける脇道に入る。数百m離れた竹下通りの喧騒が嘘のような静かさで、出会う人も疎らである。
 明治神宮の敷地は百年前には広大な荒地であった。そこに計画的な植林を施し、後は一切の人手を加えず自然に任せ、百五十年をかけて原生林のような森を造っているという。壮大な実験中である。今ではオオタカが巣食うまでになった。
 林学博士の本多静六が時の総理大隈重信に反論し、荘厳な杉木立でなく風土に合った常緑広葉樹林の造林計画を立てたのだ。先人の偉業に思いを馳せていると、北参道口に到着。一時間半の緑陰逍遥を終える。

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