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「800字文学館」

シイタケ山荘

内藤 真理子

 思い出に残る旅は、決して美味しかったり、心地よかったりするものばかりではない。
 その年の、ゴールデンウイーク二日目、私達夫婦は、連休中は何処にも行かないと決めていたのに、早起きをしてしまい、それなら東北に桜を見に行こうか、という事になった。勿論、宿の予約は取っていない。
 東北自動車道をひたすら北上する。私は助手席に座り、ガイドブックを広げて目的地をさがす。
「不老不死温泉、日本海の波打際にあり、夕陽を見ながら温泉に浸かれる、って書いてあるわよ、ここにしましょうよ」
 目的地は決まった。東北自動車道を途中から秋田道に入り、広々とした穀倉地帯の水田に映る青空を見ながら、交代で運転して、日本海を見渡せる象潟についたのは、午後五時五分前。不老不死温泉はまだだいぶ先なので、諦めて、観光案内所に駆け込んだ。
 案内所の人は、連休中でどこも満員だと言いながらも、方々に電話をして民宿を見つけてくれた。地図を頼りに行ってみると、宿は広い敷地の農家の中に在った。椎茸を栽培しているようで、建物の周りにはずらりと丸太が並んでいる。
 客は私達だけで、部屋は合宿にでも使われていたように広くて、部屋の片隅に蒲団が積み上げられていた。宿帳を見ると、最後の宿泊客は三年前の日付だった。
 夕食は椎茸尽くし。網焼き、てんぷら、煮つけ。海が近いのに、それ以外のものは記憶にないから、出なかったのだろう。ビールを頼んだら、八十過ぎのお婆さんが運んで来て、お酌までしてくれた。
「久しぶりのお客さんで、嬉しかったのでしょうね」と話しながら、運転の疲れもあり、黴臭い布団でぐっすり寝んだ。
 翌朝、目を覚まし窓を開けると、北側の窓いっぱいに雪をかぶった鳥海山の姿があった。その見事な事。
 不老不死温泉も桜の名所もすべて取りやめて、その日は鳥海山の十メートル以上そそり立つ雪の壁の間の道を快適に走り抜けた。毎年ゴールデンウイークになると思い出す、ちょっと良い旅の思い出である。

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