ソ連体制のロシヤ人の小話
共産主義体制下のモスクワに3年半暮らしたが、その息苦しさに辟易した。ブレジネフ書記長の独裁政権下、ロシヤ人たちが政府を批判することは生命の危険を意味していた。
かつてアンドレ・ジイドは『ソビエト旅行記』の中で、「今日、いかなる国、たとえヒットラーのドイツにおいてすら、人間の精神がこのようにまで不自由で、このようにまで圧迫され、恐怖におびえ、従属させられているだろうか」と書き、世界中を驚かした。
マルクス・レーニン・スターリンは神様のように扱われ、共産主義教育は幼時から徹底的に行われた。特に愛国心教育は熱心だ。ソ連体制が最高と思っていた。
3000万人の犠牲者を出しながら、ナチスドイツに勝利したのはこの愛国心だった。
それでも、この体制を批判する知識人がいて地下組織で活動をしていた。その一人がこんなことを言った。小学校では「スターリンは偉大な父である」と教え込まれる。これに対して「僕は孤児になりたい」。
ある時、ソ連の外交官がチェコの外交官に対して「チェコには海がないのに、港湾局があるのはなぜだ」チェコの外交官はすかさず「ソ連に文化がないのに文化省があるではないか」と言い返し溜飲を下げていた。
日本に関係ある小話をひとつ。
あるパーティーで北方領土が話題になった。日本の外交官が「国後、択捉、歯舞、色丹は日本固有の領土で、ソ連のような広大な国が小さな島を保持しているのは、いかがなものか。返還してほしい」と言ったら、ソ連の外交官は「ソ連には島はたくさんない。日本には島は多くあるから、4島位良いではないか」と応答した。
モスクワ市内の日用品の品不足はひどかった。食料品店のショウ・ウインドウはいつも空っぽだった。
「東京ではいつも食料があふれている」と言ったら「モスクワの人は皆金持ちで買うから品物が無いのだ。日本人は貧乏だから、豊富に食料があっても買えないからショウ・ウインドウに沢山あるのだ」。
ソ連体制は70年で崩壊した。