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「800字文学館」

5月に生まれ5月に死す

志村 良知

 昨年の5月、学生時代のギター仲間が急逝した。ロード用自転車で走行中、リード無しの犬に飛びつかれて転倒し、胸を強打したのが原因だった。突然の死にご家族の無念はやるかたなく、事情を伺うにも涙涙であった。ご母堂が健在で、その別れの様子がまた参列者の涙を誘った。
 式場に音楽が静かに流れていた。耳を澄ますと、ベートーベンの交響曲第7番の第1楽章である。若いころの友にそのまま生き写しのご長男に伺うと、当人が書斎でのバックグラウンド用に作ったCDの中の一枚だということだった。曲はモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」第3楽章、バッハの管弦楽組曲第3番「アリア」、そしてヴィバルディ合奏協奏曲「四季」冬第2楽章などが続いた。
「ジュピター」は1975年3月25日のNHKホール、ベーム/ウィーンフィルの実況放送版であろう。彼はその録音のために給料の何カ月分ものオープンリールテープデッキを買ったのだった。一見脈絡ないが、彼の趣味だなと思った。学生時代から「声あっての音楽だよ」と人間の声が大好きだったので歌曲を集めたCDは別にあったに違いない。
 卒業後も独身寮が近く、二重奏をやったが彼は兎にも角にも第1ギター奏者だった。早いパセージを楽々こなし、カンタービレの曲想では存分に歌心を出せたのに、彼が第2ギターに回ると裏旋律や和音は不器用で、曲として全然乗らないのだった。歌曲が好きな彼にとって、ギターを弾くとは歌うことで、歌の伴奏をすることではなかったのだと思う。

 50代終りに大病し、その後体の事には留意していて、自転車も健康のために乗り始めたのだという。しかし、結果はそれで命を落とす事になってしまった。

「ここよりみちのく」。その日は快晴。彼が30年間住んだ白河の町には、広くさえぎる物の無い空を爽やかな風が清々と吹いていた。「そういえば、奴は生まれたのも5月だ」と思い出した。

 薫風の黄泉まで渡れ野辺送り   良知

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