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「800字文学館」

1年半で日本語をマスター

松谷 隆

 2006年春、英国軍将校が書いた『ビルマ・キャンペーン』を翻訳中、興味を引く次の文章を見つけ、どんな教育をしたのか不思議に思った。

 1942年にオックスフォード大学を卒業した私は、陸軍入隊直後、ロンドン大学東洋・アフリカ学部の短期養成所の一年に入学した。この学部は「日本語を話して読める人材」を養成するためのものであった。当時、そのような人が絶対的に不足しており、ビルマやその他の地域で咽喉から手の出るほど欲しがられていた。

 その時、2003年に当会に入会された大庭定男氏が自書の『戦中ロンドン日本語学校』を復刊させたいと、会員に復刊・COМへのメール発信を要請されたことを思い出した。復刊はかなわず、その後この本を思い出すこともなかった。
 昨年9月末から始まった『証言・戦場に架ける橋』の翻訳・出版プロジェクトが一段落した先月、ふと思い出し、横浜中央図書館で見つけた。中公新書版、約300頁、同氏66歳の時の大作である。

 開戦時、英国軍は日本に駐在した民間人を通訳や尋問官に登用することを考えていた。だが、要員を確保できず、ロンドン大学の東洋学部に日本語教育を依頼した。教官には、日本に駐在した軍人や、日本の高校で英語教師を務めた英国人を抜擢した。彼らが考えた、1年半のコースの冒頭6週間は60の簡単な日本語会話の繰り返しという教え方を採用している。さらに日本人講師もいた。
 1942年7月から45年9月までに、554名が卒業し陸軍、海軍、空軍の将校となり、捕虜の尋問、文書の翻訳、通訳などで大活躍。その成果は各司令部で高く評価されている。

 大庭氏は同書のあとがきで「日英相互理解推進プロジェクトで日本語学部のある4大学と付き合った。数人の日本語が堪能な教授と会い、話を聞いてみると、『ロンドン大学で特訓を受け、それで一生を日本語研究にかけた』とのこと」と書かれている。

 外国語を敵性語として、禁じた日本軍とは大違い。敵を知らねば敗戦は当然だ。

(2015年6月26日)

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