『ドナルド・キーン著作集』より―三島と川端―
『ドナルド・キーン著作集』(新潮社)を読んでいる。高飛車で難解な文章の多い評論文の中で、キーンさんのは分かりやすい上、情感に充ちていて楽しい。
第4巻には「思い出の作家たち」と題し、明治以降の有名作家と作品が論評されている。「川端康成」の項では、作品論に先立ちノーベル賞受賞の経緯が触れられている。
彼は「受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかも知れない」という。それによると、国連・ハマーショルド事務総長(当時・スウェーデン人)は三島の『金閣寺』を絶賛し、審査委員に推薦の手紙を書いたとか。また、候補者一人につき代表3作品の題名とその論評が付されるところ、川端のは論評が一つ欠けていた、つまり委員会は手間を省いたのだと。三島優位だったのだ。
ところが、デンマークのある作家が、審査委員会の諮問に対して三島作品に否定的な意見を出し、川端を推したそうだ。この作家は極端な保守主義者で、受賞の1968年当時「海外でも広く報じられた学生運動の狂乱ぶり」に対して日本の若者に懐疑的になり、こともあろうに「三島=若い=左翼と短絡」して否定したのだと。
キーンさんが、この人物から話を聞いたのは1970年5月で、三島の「自決」が同年11月だ。キーンさんと三島は昵懇の間柄であり、彼が三島にこれを話したかどうか。悲観した三島がこれを機に「決行」に踏み切ったのか、さらには川端の自殺も繋がっているのか、気になるところだ。
それにしても「三島=若い=左翼」は何たることだろう。彼が聞いたら何と言うだろう。その頃僕らは大学2年生だった。大きな教室で三島と全共闘が大激論を闘わせたのを思いだす。
デンマークのこの作家は俄か日本文学通で、日本文学の評価などおこがましいとキーンさんは言う。全世界注目のノーベル賞の選考もこの程度なのだろうか。
ちなみにキーンさんは、はっきりと三島びいきのようだ。