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「800字文学館」

政治の力などなくても・・・

斉藤 征雄

 司馬遼太郎はある座談会で、室町時代のことをモラルもなく美意識もなく小説になりにくい時代だとくさしている。しかしその反面、随筆集『この国のかたち』では、三度にわたって「室町の世」というテーマを取り上げているからおもしろい。
 彼の室町時代観は以下のように要約できる。
 先ず徹底的に政治が不在の時代だったこと。将軍家は三代義満が全盛だったが、十五代義昭までみて誰一人として後の鑑になるような人物はいなかった。将軍ばかりか守護大名まで含めて政治を担う人たちに、民を治めるという意識がまったくなかったという。
 そうした中にあっても産業は非常に発達した。商工業がさかんになり貿易も活発に行われた。その結果貨幣経済が浸透してゼニの時代がはじまった。
 農業生産も飛躍的にあがった。そのため農民に自立の気風が興り、惣が結成されるなど独立自尊の気分がみなぎった。
 そして最も特徴的なことは、文化が素晴らしかったことである。能、狂言、茶の湯、いけ花、庭園、書院造り建築、武家礼式による作法、京料理の成立など日本文化の源流はこの時代に発しているという。

 私も司馬遼太郎のこの歴史観に共感を覚える。
 能について若干付言すれば、この時代には民衆が存在感を高め、集団で寄り合うことが広く行われるようになった。そのことが能の観客を育て能が芸術性の高い芸能として成立する大きな要因の一つになったといわれる。演じた瞬間に消えてしまう再現性のない芸能は、演じたその場で受け止める観客がいてこそはじめて成立するものだからである。

 それにしても、徹底的に政治が不在といわれるこの時代に民衆が自立意識に目覚め、産業が発達し、日本文化のプロトタイプといわれる素晴らしい文化が成立したとは、何とも皮肉なことである。
 政治の力などなくても民衆の自立的なエネルギーで経済は健全に発達し、文化は育まれるということの歴史的な証なのであろうか。
 もっと室町時代から学ぶことがあるのかもしれない。

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