作品の閲覧

「800字文学館」

雲取へ

新田 由紀子

 雲取山は標高2017m、東京都の最高峰だ。とはいえ、頂上は東京、埼玉、山梨の境にあるので三つの山頂標識が立っている。埼玉県のものは富士山をバックに写すとちょうど良い。錚々たる名山を抱える山梨県は、棒杭一本の素っ気なさ。東京都は古い三本杭に真新しい山名板を掲げている。
 この山は首都圏から近い割には山深く、山頂までが長い。奥多摩と丹波と秩父からのルートは、どれも片道5~6時間はかかる。奥多摩湖畔と秩父三峰神社を結ぶ縦走路は距離約22㎞、延べ11時間。たいてい山中の山小屋で一泊する。山頂から700m秩父側に下ると200人収容の雲取山荘がある。都側の七ツ石小屋や奥多摩小屋、避難小屋は自炊泊になる。山梨側の麓には三条の湯という鉱泉もある。
 初めて登ったのは20年以上前のこと。山荘の主人新井信太郎さんの『雲取山に生きる』という本を読んで興味を持った。初心者ながら縦走に挑戦。秩父三峰神社まではロープウェイで上がった。奥の院の鳥居をくぐって杉林を登りつめると、鬱蒼とした原生林に入る。岩場も越えた。辿り着いた山荘の一夜は大部屋雑魚寝にいびきで寝不足。翌朝は同行者と意見が分かれ、片や三条の湯へ、こちらは奥多摩湖畔へと4時間あまりの単独行。ほろ苦い思い出だ。
 2回目は5年前。ロープウェイはとうに廃止され、土間に薪ストーブが陣取っていた薄暗い山荘は、パリッときれいな個室のログハウスになっていた。手ぬぐいを頭に巻いた主人の傍らでは息子さんが切り盛りをしていた。
 3度目の今年は梅雨入り前にと奥多摩側から登った。都の水源林の中を明るい道がゆるやかに続いている。先頭を若い仲間に任せて後からマイペースで丁寧に登った。だいぶ遅れて人影もない頂上に到着して都の標識にタッチする。皆はもう山荘でリュックを降ろした頃か。日暮れの気配にせかれるように原生林の中を一息に降りていった。
 雲取へ、次はいつ行こうか。山の空気を思いだすたびに考える。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧