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「800字文学館」

手石島

池田 隆

 手石島は伊東湾の先に浮かぶ無人島である。対岸の潮吹海岸からは七〇〇mの沖合にあり、長さ二〇〇m、高さ三〇mの岩礁で頭部は松などが生い茂る。伊豆スカイラインや伊豆東海岸を通る時、富士や大島などの雄大な眺望でなく、私の視線は必ずこの小さな島に暫し注がれる。
 吾々、河童家族は夏になると戸田の貸別荘や伊東の会社保養所に泊り、海水浴に出掛けていた。伊東でよく行く先は汐吹公園だった。砂浜ではなく、潮吹き岩もある岩や石がごろごろしている海岸だが、それだけに水が澄んでおり、子供たちを喜ばす小さな魚や蟹、貝も多い。手石島が眼前に迫り、沖に見える大島や初島よりもはるかに大きな存在感を示す。泳いでも容易く渡れそうな近さに見える。
 ときどき岩場に立つ釣り人を見掛るが、渡し舟はないので送迎用の釣り舟で来た人達であろう。普段は人影もない。
 どんな島だろうかと好奇心が募る。渡れるかを先ずは確かめようと一人で泳ぎ出す。距離は思ったより有るが、懸念した海流は左程でもなく、一時間ほどで往復できた。
 これならば大丈夫と、つぎに家族五人で泳ぎ渡ることにする。長女、長男は小学校低学年だが、水泳教室のプールで泳ぎ込んでいるので心配ない。幼稚園児の次女には幼児用ライフジャケットを着せ、私が泳ぎながら押す浮き輪に掴らせる。
 浜辺から離れていくにつれ、大海を泳ぐ家族だけの特別な世界となる。島に上陸するが、周囲は岩肌が切り立ち探索は無理である。無人島に漂着した気分だけを味わい、泳ぎ帰る。
 子供たちに遠泳の自信をつけさせ、海で泳ぐ爽快さを体験させた。逞しい父親像も示せたと、この時は得意だった。ところが時が経つにつれ、無謀な行動だったと気になり出す。
 十五年ほど経った頃、テレビのニュース画面を見て驚いた。懐かしい手石島が映り、まさに我々が泳いで渡ったあの海面が海底噴火で轟音を上げ、灰黒色の噴煙を上げている。地球の年齢を考えれば、一瞬の差の命拾いだった。

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