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「800字文学館」

新世代のピアニスト

川口 ひろ子

 モーツァルトのピアノ・ソナタ演奏会を聴いた。
 独奏は若手の巨匠と評判の横山幸雄、私にとって生で聴くのは初めてのピアニストだ。

 身体に食い込むような細身のベストを着て、寝不足気味の赤ら顔、大股で舞台端まで進み、ずずっと会場を見まわして深々と礼をする。世を拗ねたような、身を持ち崩した若者のような仕草に驚かされる。このように激しい気性全開で登場する演奏家も珍しい。
「昨夜(ゆうべ)何があったの?」と聞きたくなる態度とは打って変わって、演奏は颯爽として正攻法だ。鍵盤に落とした指先に意識のすべてを集中、そして生れる一つ一つの音の粒立ちが素晴らしい。強くて明快な音色は、完璧を求める彼の貪欲さを物語っている。

 パンフレットには、16歳で渡仏、パリ国立音楽院に学んだ後ショパンコンクールはじめ多くの国際コンクールに入賞、現在は国内外の第一線で活躍中と記されている。更に、京都と東京にレストランをオープンし音楽と食をプロデュースするなど、活動は多岐にわたり……とある。
「音楽と食」これを見逃すわけにはいかない。私の好奇心も全開だ。早速ネット検索、南青山のレストラン「ペガソ」を探し出し、とりあえずランチで下見をした。
 この店の2階では、毎月4回、彼のレクチャーコンサート付き食事会が開催されるという。奏者の息づかいや細やかな感情表現などが直に伝わる理想のサロンで、名演奏を愛で、美酒に酔う。肴は旬の食材だ。
 彼は、音楽と食のコラボレーションを提案し、贅沢な遊びの世界を演出する空間を、此処に出現させた。

 我が国のモーツァルトの鑑賞方法は、昨今大きく変化している。一部のマニアが高価なオーディオ機器や膨大なCDコレクションを自慢する時代は去り、現在は生演奏を楽しむスタイルが主流となりつつある。彼の若さはこの流れの最前線を疾走しているのだ。
 栄光の後の挫折、そんな危うさも匂わせているピアニスト横山幸雄、今後の活躍が楽しみだ。

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