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「800字文学館」

メニューにない酒

三春

 とあるJR駅からバスで20分ほどのところにその店はあった。アジア系やラテン系の外国人が多く居住する地域らしく、朝鮮学校の裏手ではちょっと太めの南米系若者たちが地べたに座り込んで酒盛りをしている。その隣に侘びしげな焼き肉屋の看板。息子が職場の上司から仕入れてきた穴場である。「ここだここだ」と言いながら建付けの悪い戸を開ける。椅子席が2卓、奥の座敷では子連れの近所住民が既に盛り上がっている。

「白いのをボトルで」。教わった符牒で注文すると、店主が一瞬ハッとした顔。メニューにはビールや眞露はあっても白いのはないのだ。
ほどなくしてカルピスウォーターのペットボトルが運ばれてきた。中身はもちろんカルピスではなく、白いマッコリ。カモフラージュのつもり? 市販品と比べてやや酸味があるものの、甘くないからすっきりと飲みやすい。はっきり言って焼き肉はたいしたことないが、この際それはどうでもいい。アルコール度数は日本酒より低いはずなのに早々といい気分になってきたところをみると、自家製は度数が高いのかも知れない。お代りしたら今度はポカリスエットのボトルがでてきた。ペットボトルはこの2本と「おーいお茶」の合計3本だけだそうだ。お茶では偽装しにくいだろうに暢気なものだ。

 頃合いを見計らったように店主が近寄ってきて、
「お客さん、見かけないお顔ですけど、どうしてうちの店を? いやぁ、ドッキリしましたよ、お袋がまだ元気なころに一度パクられましてねぇ。たっぷり油を絞られたけどしらを切りとおしたんですわ。気丈なお袋でね、子供を抱えてこの国で生きていくために必死でした」
 尋ねもしないのにいつの間にやら身の上話と自慢話が始まった。

 出来立てのマッコリには薄緑色の上澄ができるという。店主、次第に上機嫌となり、「これがまたきりっとして美味いんですよ。おーい、あれまだ残ってたよなあ」と奥に声をかけた。グラスに注がれた透明な緑の酒。店の奢りである。

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