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「800字文学館」

和泉式部日記のこと

内藤 真理子

「和泉式部日記を読んだことがある?」友人に聞かれた。私は読んでいない。聞くと、和泉式部は恋多き女だという。
「親王が通っていたのに、ぷっつり来なくなったので、催促の歌を詠むの。それが宮の目にとまるように、宮の家司に届けるようにと、文使いをする童に託すのよ。
『月を見て荒れたる宿にながむとは 見に来ぬまでもたれに告げよと』(私が月をながめながら荒れ果てた家で物思いに沈んでいると宮に知らせてもらいたい)積極的でしょう」
 家司から聞いた宮は、すぐに車の支度をさせて、女のもとに行く。女が簾を下ろして見ていると、家に上がろうと前栽まで来て「こよひはまかりなむよ」(今夜は引き上げよう)と踵を返す。宮は、前に来た時に他の車があったので、先客ありか、と引き返したのだったが、それを確かめるために今宵は来たのだとばかりに……
「宮は彼女の所にたくさんの男が通っているのではないかと疑っているのよ。それなのに、彼女からの誘いの歌に、矢も楯もたまらずやって来たのだけど、いざとなったら、すんなり行くのは癪でしょう、それで、帰るふりをするのよ」
 女はすかさず『こころみに雨も降らなん宿すぎて 空行く月の影やとまると』(ためしに雨が降ってくれないものかしら。私の家を通り過ぎてゆく月の光が、ここにとまってくれるかもしれないから)と、可愛い誘いの歌を贈る。
 それを読んで宮は、噂ほど多情な女ではないのかもしれないと思い
『あじきなく雲居の月にさそはれて 影こそ出づれ心やはゆく』(心ならずも、空の月にさそわれて、その月影のように出て行きますが、私の心はあなたのところから去って行きませんよ)と歌を詠んだ。更に
『われゆえに月をながむと告げつれば まことかと見に出で来にけり』(私の為に月を眺めているとは本当の事か、見に来たのですよ)

平安時代にも、通ってくる人をただ待つだけと思っていた、やんごとなき男女の中に、こんなに自由な恋愛があったのだ!

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