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「800字文学館」

記憶に残るコンサート

野瀬 隆平

 それは、オーケストラ演奏中の突然のできごとだった。
 ヴィオラの第一奏者が、それまで自分が弾いていたヴィオラを、さっと右隣の第二奏者に突き出したのである。
(えっ、どうしたんだ)
 その日、ヴィオラは指揮者のすぐ右前に配置されており、第一奏者は客席に一番近い目立つところで弾いていたのだ。
 驚いて眺めていると、第二奏者は全くあわてず、そのヴィオラを受け取ると、代わりに自分が演奏していたヴィオラを、さっと第一奏者に渡すではないか。そして、その第二奏者は、右にいる第三奏者にそのヴィオラを差出し、第三奏者のヴィオラを受け取ると、何事も無かったかのように弾き続ける。

 ここで、はたと気が付いた。第一奏者のヴィオラの弦が切れたのだ。オーケストラの演奏中にヴァイオリンやヴィオラの弦が切れた場合、その楽器は次々と後ろへリレーされてゆくと聞いたことがあるが、正にそれが目の前で行われているのである。
 こうして延々とリレーされた楽器は、最後の奏者に届いた。まだ若い女性である。弦の切れたヴィオラを手にして、どうするのかと見ていると、それを持って舞台裏に去って行った。

 一曲が終り次の曲が始まる前に、彼女はヴィオラを手にして戻ってきた。それを自分が弾くのかと思ったら、数名の団員の間で楽器を交換し合い、彼女は自分が最初に弾いていたヴィオラを手にした。弦が切れた肝心の第一奏者は、この交換には加わらず、戻ってきたヴィオラは、彼の手に渡ることはなかった。弦を張り替えたのではなく、別のヴィオラなのだろうと推察した。

 サントリーホールで行われたマチネー・コンサートでのことである。ゲネプロと呼ばれる直前の練習風景を見学した上に、本番では滅多に見られない場面に遭遇した。演奏された曲も、「カバレリア・ルスチカーナ」や「マドンナの宝石」など、珠玉の名曲ながら一流の大編成のオーケストラではめったに聴けないもので、記憶に残る音楽会となった。

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