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「800字文学館」

瓢箪はなぜ美しくくびれているか

斉藤 征雄

 私が書斎に使っている部屋は殺風景で何の変哲もないが、唯一赤い座布団の上に一個の瓢箪が鎮座しているのが飾りといえば飾りである。
 かれこれ二十年ほど前になるが、その頃勤務していた工場で、美化運動の一環としてプラントの計器室の脇で瓢箪を栽培していた職場があった。そこで実をつけた瓢箪を、その現場の主任がなかごを抜いて乾燥し加工して私に届けてくれたのである。しかも赤い座布団まで添えてあった。
 以来私はその瓢箪と起居を共にしている。
 高さ27センチ、最大直径15センチで、くびれには紫の飾り紐が巻きつけてある。表面にはなにも施されておらず生のままだが、二十年の歳月によって薄茶の生地が光沢を帯びて渋みを増している。
 形は、あたりまえだが瓢箪型。世界に同じものは二つとない自然の造形美である。そのくびれと丸みの曲線には、まったくといっていいほど無駄というものがない。美しいとは本来こういうものをいうのだろう。

 それにしても瓢箪は何故こうも美しくくびれた形をしているのだろうと、ふと思ってネットで調べてみた。同じ疑問をもつ人が多いとみえて、すぐに回答が出てきた。それによると、瓢箪はもともとくびれていたのでもなく、美しくなるためにわざと自分からくびれたのでもないらしい。昔から酒や水を入れる容器として使ってきた人間が、紐を巻いて持ち運びがし易いよう、実用のために無理に進化させてくびれを作った結果なのだ。
 そうか、そういうことだったのか。
 犬がいつごろから人間をボスに仰ぐ道を選んだのかは知らないが、それによって種の保存という点では大成功をおさめた。それに比べて狼は孤高の道を選んだために絶滅してしまった。瓢箪も、犬の戦略で生きてきたのだろう。そして人間の要望に、身を以ってけなげに応えてきたのだ。
 しかし瓢箪さん、身勝手な人間相手にこれからの生き残り策は大丈夫ですか。
 あらためて瓢箪に目をやると、少しさびしげにほほ笑んだように見えた。

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