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「800字文学館」

私の戦後の始まり

川口 ひろ子

 日本が敗戦国となった昭和20年8月15日、私は国民学校2年生であった。ザーザーと雑音ばかり聞こえた玉音放送は、隣組の大人や子供20人ほどが集まり隣家の庭で聞いた。大人たちに泣いている人は見当たらず、無表情のまま茫然と立っていた。私は「これからはいやな空襲警報は鳴らないのでゆっくり寝られるぞ」と喜んだ。

 校庭は掘り起こされ、一面の芋畑に変わっていた。
 2学期が始まって、私たちは、教科書に墨を塗った。先生の指導の下、忠君愛国を説き大東亜戦争を賛美する部分を消す。マッカーサー司令部の命令によるものだという。墨が薄いと乾いた時に消したはずの活字が浮きだして来る。もう一度塗る。まだ消えない。また塗る。「最初から濃く磨れば一度で済むのに馬鹿だなあ」などと言いながら何度も塗り、浮かび上がる過去を、しっかりと消し去ったのだった。
 クラス全員が中庭に一列に並び、両手で顔を覆い頭を下げる。そこに先生がDDTの白い粉を振りかける。集団虱退治だ。突然白髪となった同級生の頭を互いに指さして「御婆さんみたいになっちゃった」と笑い合ったり、じゃれ合ったり、楽しかった。

 翌春は3年生だ。新学期に配られた教科書は、文字は印刷されてはいるが「本」の形態をなしていない新聞紙大の紙であった。工場が空襲に遭い製本が間に合わなかったのだろう。区切り線に沿って切り、ページ順に重ね、千枚通しで穴を明け、布切れで綴じる。お手製の本の出来上がりだ。使い勝手は良好で、隣の下級生にも譲ったりして、ぼろぼろになるまで使った。

 かろうじて空襲をまぬかれた富士山麓の田舎町、中心街のパン屋の店先にはたくさんのアンパンが並べられた。そして、そのてっぺんが光り輝いているのだ。私は、ガラス窓の外から長い間眺めていた。
 軍事国家から平和国家へ、急転回のこの時期、子供の知恵ながら、戦争のない日の到来を告げるパンの輝きに感激して、じっと見入っていたのだろう。

2015年8月10日

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