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「800字文学館」

証人台に立つ

中村 晃也

 NYから一昨年帰国したTに会った。彼の杖にはメトロポリタン博物館の賛助会員章とNY地方裁判所の入所許可証が貼ってあった。
「なんだこれは?」「まあ聞いてくれ」。

 繊維関係の仕事をしていた彼はマンハッタン・ウエスト五十六番街のビルの二階からエレベーターに乗った。出入口のほうを向いた途端、既に乗っていた大柄の黒人に羽交い絞めにされた。太い腕で背後から吊り上げられ、足が宙に浮き、こめかみの血管が膨れ上がるのがわかった。黒人はTの尻ポケットの財布から、週末の買い物のため用意していた二百ドルを抜き取り、一階のドアが開くと走り去った。
 すぐに十三分署の刑事が来て現場検証に立ち会わされた。数週間後警察からの連絡で犯人は捕まり、Tは十六人のうちの二番目の被害者だったとわかった。

 帰国した翌年、NY地方裁判所から裁判の証人としての喚問状が届いた。東京NY間の往復運賃を出すという。Tはパーキンソン氏病なので介添えの妻の運賃も出してくれと要求した。と、すぐに二人分のデルタ航空のエコノミーチケットを送ってきた。
 NYにはTの長女が住んでいるので宿泊の問題はない。この話を聞いて東京在住の次女の家族が一緒に行きたいという。思いがけなくNYで一家団欒の機会を得た。勿論公判には家族全員で傍聴席を占拠した。

 型通りの事実認定のあと、弁護側の論点は「証人は検察の筋書きの通りに証言している」という点で、これまで何回検察とリハーサルをしたかとの質問があった。本当は十数回だったが、二、三回だと証言した。
 裁判は無事終わったが、奪られた二百ドルは帰ってこなかった。証拠品として提出した財布(孫から誕生祝いに貰った四百ドルもするコーチの財布)は、犯人のDNA検出のため切り刻まれてしまった。

「俺、聖書の前で宣誓したけど、仏教徒だから嘘の証言をしてもお咎めはないよな?結局、俺って、得したか損したかわからないんだ。お前に話のネタを提供しただけかも知れんな」とT。(完)

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