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「800字文学館」

『この国の空』映画と本

内藤 真理子

 この映画は戦争末期の東京杉並の住宅街が舞台。ごく普通の人々が住む一郭に、母(工藤夕貴)と十九才の里子(二階堂ふみ)の二人が暮らす家がある。隣家には妻子を疎開させた銀行員の市毛(長谷川博己)が一人で住んでいて、母娘は、何かと相談に乗ってもらい頼りにしている。
 空に敵機が来るたびに防空壕に逃げ込み、夜は灯火管制。食料は常に不足しているという、死と隣り合わせの中で、まだ少女だった里子は、町会事務所で働き始めた。女子挺身隊への動員逃れのつもりだったのだが、男子職員が戦争に行き、いなくなってしまった非常時に煩雑な事務処理をこなし、苛立つ人々を相手にする日々、徐々に大人になっていく。
 周囲の影響で成長していくのとは別に、物語の核になっているのは、生命や運命の神秘ではないかと思った。戦渦の殺伐とした状況とは裏腹に、里子は少女から大人へと脱皮するようにきれいになって行く。
「女の人には、何をやっていても美しく見える時期ってあるんですね。あなたは今、ちょうどその時期なんだ」市毛が言う。
 里子は「私は美しくなんかない」と恥じらうが〝爆弾が投下され明日死ぬかもしれないのに、自分自身はまだ何も経験していないではないか。このままで死にたくはない″と、市毛への思慕をつのらせる。
 やがて新型爆弾が広島に、長崎に投下され、市毛は、丙種の自分にも赤紙が来るのではないかと、死の恐怖におびえ、妻子を愛しているのに里子と結ばれてしまう。数日後、市毛は近いうちに終戦になるとの報を聞き、喜び勇んで里子の家に報告に行く。

 映画の最終場面、里子は戦争が終わったら、市毛の許に妻子が戻って来ることを思い、どうなるかわからない運命に立ち向かうような強い意志を持った顔をする。それに対して、端正な顔立ちの市毛は、これからのことを暗示するかのように、ずるそうな大人の男の顔を一瞬見せた。

 脚本・監督は荒木晴彦。高井有一の『この国の空』は原作に忠実に映画化されていた。

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