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「800字文学館」

隠れ家風のレストラン

濱田 優(ゆたか)

 現役時代、といっても窓際に席にしがみついていた頃の話。
 パソコンの指南役の、短めのタイトが似合うKさんと雑談をしていて、OLたちの人気スポットの話になった。彼女はいう。
「私は表参道。それも大人の雰囲気が漂う青山寄り方」
「表参道なら、裏道の庭木に囲まれた隠れ家みたいなレストランを知っているよ。よかったら一緒に行こうか。日頃お世話になっていることだし」
 四、五ケ月前に旧友に連れて行ってもらった店である。
「素敵! 私、『隠れ家』に弱いの。ぜひ連れて行ってください」
 信じられない、こんなに容易に魅力的なKさんを誘い出せるなんて。善は急げ、とその場でデートの約束をした。

 当日、二人は人混みを避けるように、色づきはじめた欅の並木通りから裏通りに入った。そして彼女を連れてその店に行くと照明が消えていて、なんと閉店を告げる張り紙が玄関に貼られていた。
 しまった! 友達に電話番号を聞いて確認しておくんだった。この辺りに知っている店は他にない。僕はパニックに陥った。
 と、「私の知っている店でよければ……」と彼女がいう。地獄で仏とはまさにこのときのKさんのこと。そこはモノトーンの洗練されたインテリアの店だった。席に着いても、僕は冷や汗が止まらず、何を話したかまるで憶えていない。

 激しく落ち込んでも諦めないのが僕のいいところ。立ち直ってリベンジを企てた。何冊もレストランガイドを読んで「大人の隠れ家」をキーワードに情報を集めた。やっと自信の持てる店を見つけて彼女を誘おうした矢先、Kさんの方から話し掛けてきた。
「部長、お世話になりました。こんな私でもいいと言ってくれる人がいて……」
「えっ、そんなことになってたの。……なら、この前の店は彼とデートの場所?」
「はい、彼が好きな店です。私は違う店にも行ってみたくて……」
 僕は慌てて高砂の翁のお面を付け、「それはおめでとう。末永く幸せにね」と祝った。しかし、その夜呑んだヤケ酒のひどく苦かったこと――。

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