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「800字文学館」

『紅楼夢』を読む(松枝茂夫抄訳・講談社)

首藤 静夫

 全文は400字詰原稿用紙で6千枚をこえるという。松枝茂夫氏はそれを約4分の1に編訳した。
 紅楼とは「朱塗りの高殿、女子のいる富家」と辞典にある。
 大貴族の貴公子「賈(か)宝玉」、「黛(たい)玉(ぎょく)」「宝釵(ほうさ)」の2人の美少女、この3人を中心に、子女がつぎつぎに登場して貴公子たちとの交遊や恋をくりかえす。貴族の豪華な館と大庭園が舞台である。
『源氏物語』に似ていなくもない。清朝最盛期・乾隆帝の時代に刊行されたことも藤原氏全盛時の「源氏」を想わせる。時代設定も「源氏」同様にぼかされており、天上と地上を行き来するなど浮世離れした構成だ。
 作者の曹雪芹は清朝の没落貴族の出身で漢人である。満州族の治世だけに、漢人の著作は内容次第では生命の危険があった。帝や中宮などがサロンで読みまわして楽しんだ「源氏」とは事情が異なる。
 主人公・宝玉は科挙の勉強が大嫌いで少女たちと詩文や淡い恋を楽しむ。やわな性格で少し頼りない。しかし、父親や伯叔父はじめ他の男どもが偏屈だったり淫乱・破廉恥なのと比べると善良正直なのだ。
 彼は5才くらいで物語に登場し、死ぬのは20才くらいだ。この間、話があちこちに飛び、ストーリーの展開がすくない。少年少女の交遊を描きつつ、その背後でゆっくり没落してゆく大貴族のありさまが描かれている。主人公の成長や苦悩、生き様をいきいきと描いた「源氏」とはやはり別の小説だ。
 しかし、読み進むうちに、ディテイルの見事さが見えてくる。大貴族に付き随って侍女・執事や小女・下男が登場する。その描写が実にリアルだ。主人が留守の間の彼らの怠惰・手抜き、逆に機嫌を損じた主人が使用人を打擲したり、売り飛ばしたりする場面は迫真だ。
 夢物語にまぶして、作者は現実の封建社会とその不合理を批判したのかも知れない。このあたりは西洋やロシアの近代文学を読むようだ。近代小説はディテイルの描写が命と言われるが、『紅楼夢』は中国近代小説の嚆矢といえよう。

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