獲って、採って、喰らう
蜂の子は、クロスズメバチを以って最上とする。体長1センチほどの黒い蜂でヘボと呼ばれる。地下にある巣は夏播き蕎麦の花が咲く頃充実する。トンボの胴体を餌におびき寄せ、肉団子造りに夢中のヘボに真綿を絡ませ、真綿を引いて飛ぶヘボを追う。巣を見つけると花火を何本も放り込み、煙で親蜂を麻痺させる。5、6段にもなった巣を掘り出して数百匹の蜂の子を獲る。獲物は蜂の子飯か甘露煮にした。
蝗は人影を見ると葉っぱの裏側に隠れるので、こちらも眼の良いハンターでないと大漁は望めない。獲った蝗は排せつさせてから下茹でし、甘露煮にするのであるが、茹でた後、跳ね脚と翅を取るのが母の流儀であった。確かにそう処理した蝗は一味違う。
稲刈りの大人の後ろについて田螺を掘るのは子供の大仕事だった。田螺は殻ごと良く洗い、泥を吐かせ、シジミと全く同じ要領で味噌汁にする。
水棲の大物、エビガニ釣りの餌は殿様ガエルの脚が一番とされた。真っ赤になった大物を狙って何十匹も釣り、茹でて尾の部分を食べた。
秋の茸は完全に大人だけの世界だったが、春の山菜採りは、大人が引率して弁当を持って暗いうちに出発するイベントであった。大人が一緒の遊びは滅多にないので嬉しかった。
子供達は仁義として農作物は襲わなかったが、野山の物は何でも食べた。レンゲツツジの花は少量の塩で揉むと酸味と歯触りがオツである。スイカズラやゼニアオイの花ではミツバチと競合して蜜を吸った。時にはミツバチも襲い腹を裂いて嘗めた。
スイバの茎、チガヤの若い花穂、土手の苗代苺やズミや童謡にあるような山の畑の桑の実などは今でも口に入れた感覚や味を思い出す。榧や栗は山に生えていても所有者があったが、それもスリルと共に味わった。
飢えていたというわけでもないのに何故あんなに何でも食べたのだろう。縄文土器の破片がその辺に散らばっている土地を集団で駆け回る子どもたち、その脳幹のDNAのなせる技だったのであろうか。