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「800字文学館」

京都、南禅寺界隈の別荘庭園を訪ねて

斉藤 征雄

 京都東山の麓、南禅寺の界隈に、明治から大正にかけての政財界の要人が建てた別荘庭園が立ち並ぶ一画がある。その中のひとつ、ある実業家の別邸の庭を見学する機会に恵まれた。

 その庭は、七代目小川治兵衛の作とある。治兵衛はこの地区の庭園のほとんどを手掛けたといわれる当時の名人庭師である。屋号を植治といい、以後今日まで植治の庭師職人たちが治兵衛の造った庭園文化財を守り続けているという。

 見どころは、何といっても東山の借景である。書院の濡れ縁に腰掛けて眺めると、視界いっぱいに東山が広がる。大都会のただ中にありながら、自然以外の夾雑物が一切目に入らないのはさすが京都というべきか。
 京都で有名な借景に円通寺の庭があるが、比叡山の遠景の景観を静の美しさとすれば、この庭の間近かに迫る東山の借景は、動の迫力があると感じられた。借景というよりは、庭全体が東山の懐に抱かれているといった方が適切である。庭に植えられた赤松の木立は東山の一部になりきっていた。
 目の前には池がある。水は左奥の滝から音を立てて落ちてくる。ここから少し東へ行くと疏水が流れているのだ。そこからの引き水である。
 池の向こう側の築山へ回ってみる。滝の音が一層大きく涼しげに聞こえた。よくみると池には鯉の姿が見えるが、真鯉ばかりである。数を絞りしかもあまり大きくない。この庭では鯉はあくまでワキ役の位置づけだという心にくい配慮に思えた。

 この庭はまぎれもなく日本庭園であるが、しかし伝統的な禅的さびの雰囲気はあまり感じられない。この庭が明治以降の近代化の波の中で造られたものだということに気付いて、京都の別の一面を見たような気がした。

 見学を終えたら昼時になった。近くの「白河院」という割烹旅館の湯どうふ懐石で一献傾けた。座敷から眺める庭も素晴らしいので聞くと、これも植治の庭という。
 時間を忘れる初夏の京都でのひとときだった。

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