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「800字文学館」

「第三の新人」阿川弘之

平尾 富男

 今年8八月初旬に老衰により94歳で他界した阿川弘之は、最近では長女でエッセイスト、タレントの阿川佐和子女史の父親として言及されることが多い。
 1920年広島生まれ、昭和17年に東京帝国大学国文科を繰り上げ卒業後、海軍に入隊して中国で終戦を迎え、1946年4月にポツダム海軍大尉として大陸から帰郷した。戦後は志賀直哉に師事して小説を発表し始める。第一次戦後派、第二次戦後派に属する小説家群に続いて現れた「第三の新人」と呼ばれた作家たちの一人だ。阿川の外には安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三、遠藤周作、近藤啓太郎、三浦朱門らがいる。今では三浦朱門以外全員が鬼籍に入ってしまった。
 阿川の著書で最も著名な作品の一つが、師事した志賀直哉を描いた評伝『志賀直哉』である。最初は1987年から7年にわたって岩波書店の月刊PR誌『図書』に連載されたものである。
 佐和子女史によると、90歳を期にきっぱり断筆し、読書に興じていたが、自宅で転んだり誤嚥性肺炎を起こしたりしたので、都内の老人病院へ入院する。しかし「頭は最後までかなりしっかりしており、その後に大腿骨を骨折してほとんど寝たきりの状態にはなったものの、毎日リハビリに励み、病室ではビール、日本酒を少々」。そして「娘が持ち込んだ好物の鰻、すき焼き、フカヒレなどを食し、本棚を設置して文庫本を読むという生活をずっと続けておりました」 
 亡くなる前日には、娘さんが持参した薄切りのローストビーフを三枚たいらげ、「次はステーキが食いたい」と呟いてにんまり笑っていたというから、中々の健啖家なのだ。生前その阿川は、瞬間湯沸器として知られ、妻や娘に対して癇癪を起すことも少なくなかった。
 1997年、『文芸春秋』に76歳で連載を始めた巻頭随筆「葭の髄から」は13年間も続く。時に歯に衣を着せず、時にホロリと、そして常にユーモアを交えながら、今の日本に物申す姿勢を貫いた。
『きかんしゃやえもん』は氏が書いた児童文学の金字塔でもある。冥福を祈る。

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