唐招提寺の秋(その2)
唐招提寺は私のもっとも好きな寺である。6年前、金堂大修理の落慶法要があったが、混雑を避けて前日に訪れた。金堂が薬師寺のような極採色に変わったのか、それとも無彩色を保っているか気がかりだった。創建時はこの金堂も色鮮やかだったのだ。どちらを選択するか議論があったことだろう。
南大門をくぐって目に飛び込んだのは、新装なったものの、見慣れた、静謐な元通りの金堂だった。鴟尾が大屋根で秋空に映えている。
薬師寺の壮麗豪華な大伽藍も素晴らしいがどこか落ち着けない。唐招提寺にはやはり簡素がふさわしい。境内も広くないし、名物の建物や仏像も数えるほどだ。これという季節の花もない。そのため、薬師寺と併せて見に来た観光客は、こちらは足早に通り過ぎる。だからいつ訪れても静寂な雰囲気に包まれるのだ。寺院本来のたたずまいというべきであろう。
この寺は裏庭が奥ゆかしい。鑑真和上の坐像を安置する御影堂と和上御廟が一番奥にたたずみ、その途中は名もない堂宇が点在する。晩秋のこの時期は萩の花がところどころ静かにゆれている。
御廟の手前には、知日家だった趙紫陽元首相の参拝記念碑が人知れず建っている。和上や渡来者一行の足跡、悲哀を彼は知っていたのだろうか。
芭蕉の句碑が葉陰に隠れるように見える。
若葉して御目の雫拭はばや ばせを
鑑真を尊崇していた彼は、生涯に2度立ち寄ったという。「御目の雫」で、彼は何をいいたかったのだろうか。日本の仏教界に酷く扱われた和上たちの悔し涙だろうか、あるいは苦難の末たどり着き、授戒方式を確立できた法悦の涙であろうか。翁のやさしさが滲んだ深みのある句である。
境内には、目立ちすぎて邪魔に感じられるものがない。建物も仏像、塔、碑、草木もそれぞれが謙虚にたたずんでいる。和上の人柄と教えが巧まずして表れているのかも知れない。
1200年の間、和上の精神を受け継ぎ、現在の私たちにも訴え続けるこの寺の健やかさを願う。