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「800字文学館」

浄瑠璃寺

内藤 真理子

 秋の一日、浄瑠璃寺を訪ねた。
 山門を入ると左手(東側)に三重塔、池を挟んだ右手(西側)に本堂があり、三重塔の方を此岸、本堂の方を彼岸に見立てられている。お彼岸の中日には三重塔側の此岸から見ると、彼岸の本堂の後ろに陽が落ち、西方浄土を表わしている。真ん中の大きな池は人の人生で、浅瀬を通る人も、深く通りにくいところを行く人もいる。成程。
 紅葉には早かったが、三重塔を背に眺めていたらアオサギが一羽、うっそうとした木立の方から飛んで来て、池の中州に降り立った。静寂の中での僅かな動きを見ながら、アオサギは私の今の立ち位置? と考えて対岸までの距離を目測。彼岸にたどり着くまでにはずいぶん長い道のり。この先、水面の如く平穏であってほしいと切に祈ろう。

 池を半周して暗い本堂に入ると、巨大な九体の阿弥陀如来像が高い台の上に並んでいて圧倒される。暗がりに目が慣れると、如来像は荘厳で悟りきった、近寄りがたいお顔をされている。
 中央の阿弥陀如来中尊像の脇に厨子に入った吉祥天像が安置されていた。たまたま御開帳の日で拝顔することができた。厨子は復元模写されたもので、白が基調の内装によって、吉祥天像が明るく浮き上がって見えた。
 一列横並びの九体のいかめしい阿弥陀如来像は寄木造で黒ずんだ漆金箔一色、光背はあるが袈裟のみを緩やかに纏った御姿。
 それに引きかえ、吉祥天像は立像で、ふっくらと下ぶくれのお顔。派手な衣装、冠を載せたストレートヘァー、両手は天上天下を指しているが、ふくよかでゆったりとして優しげである。如来達のお経を唱える声が聞こえそうな佇まいとは全く異質で、いかめしい肖像画と漫画くらいの隔たりがあり、思わずクスッと笑ってしまう。だが、生身の母親のような御姿には圧倒的な迫力があって、慕ってくる人々を、わが子の如く受け止める大らかさを醸し出していた。いかめしい本堂の中央に吉祥天を安置したこの浄瑠璃寺がますます好きになった。

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