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「800字文学館」

ホテルでの孤独な食事

中村 晃也

 南国情緒豊かなセヴィリア。繊細なモザイク文様の石壁。花に囲まれた路地。ファドに似た節回しの歌。まさに異国に来たなと実感する。

 五月ともなれば、いつまでも太陽が沈む気配がない。ようやく薄暗くなった八時頃になって、ホテルのレストランを覗いたがまだ準備中で、椅子がテーブルに逆さにのせてある。隣のバーで時間待ちを強いられ、九時半になってようやくオープン。小生が最初の客であった。

 白い詰襟のボーイが六、七人、ブラックスーツのマスターに率いられて挨拶にくる。窓際の一番いい席を選び、分厚いメニューから、地元のワインを頼む。オードブルを頼む、スープとメインを頼む。そしてデザートを頼む。

 話し相手がないので黙ってワインを飲み、オードブルを摘まみ、スープを啜る。その間ボーイの一人がワインを注ぎ、二人目が皿を取り換え、三人目はこぼれたパン屑をかき集め、四人目は新しいナイフとフォークを用意する。

 ボーイの一人とブラックスーツは、メインのラムステーキを客の面前で焼き上げるべく、移動式の小テーブルに材料一式とガスレンジを載せてしずしずと近寄ってくる。

 自分の担当分をやり終えたボーイ達は、ナプキンを小粋に腕にかけ整列し、息をひそめて客の一挙手一投足を観察する。折を見てワインを注ぎ、皿を取り換え、パン屑をかき集め、ナイフとフォークを並べ替える。

 一人きりの食事は間が持てないものだ。「これは旨い」などと独り言をいいながら食べても長続きはしない。といって黙りこくってひたすらナイフとフォークをチャラつかせるのもまことに味気ない。
 一呼吸して辺りを見回しても、ボーイ達の「どうかしましたか?」とでも言いたげな眼差しの一斉射撃を受けて、気の弱い客はすぐに視線を落としてしまう。

 待望の、次の客がきたので、ボーイの半数はそちらにまわる。やっと解放された客は、チップも置かずにそそくさと席を立ち、かって仲間と訪れた新宿の居酒屋を懐かしく想うのである。

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