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「800字文学館」

哲人の記憶

平尾 富男

 歴史上の英傑の多くは著作を残さなかった。孔子、釈迦、ソクラテス、イエス・キリスト等々も然り。後世の人々が彼らの偉大な功績や言動に触れられるのは、彼らの弟子たちの記したもののおかげなのだ。
 ソクラテスは書き言葉が記憶を破壊すると考えていた。個人的な知識の基盤を形成するにふさわしいのは、暗記という不断の努力を要するプロセスのみであると。「生きている言葉」である話し言葉は、書き記された言葉が「死んだ会話」であるのとは異なり、抑揚およびリズムに満ちた動的実体だからだ。書き留められた言葉は反論を許さず、柔軟性に欠けた沈黙であり、ソクラテスが教育の核心と考えていた対話のプロセスにはそぐわなかったのだ。
 現代人にとっての「哲学者の代名詞」というソクラテス像は、『ソクラテスの弁明』や『饗宴』等の著作で知られる弟子のプラトンによる。現存するプラトンの著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、師であるソクラテスを主要な語り手とする。
 プラトンは、ソクラテスを深く尊敬していたからこそ、哲学を語るときにはソクラテスを活躍させる形で著作を書いたのである。そのプラトン自身の若い頃はどんな人物だったのかといえば、王の血を引く貴族の息子であり、文学や詩や演劇を趣味としつつも将来は政治家になることを夢見ていた。
 その師ソクラテスが「神々に対する不敬と青年たちに害毒を与えた罪」を理由に毒杯を仰いで刑死したことが契機となり、政治家への道を断念してしまう。アテナイ郊外のアカデメイアの地の近傍に学園(アカデミー)を設立して、哲学の思索と若者の教育に生涯を捧げた。
 自らは何も書き遺していなかったが、ソクラテスの「人と成り」を現代人が知ることできるのは、彼の弟子たち、主にプラトンが後世に残した著作を通してなのだ。話し言葉に命を与えた書き言葉という記憶によってなのである。
 今も熱い探求の火は哲人の記憶として遺る。

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