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「800字文学館」

お釈迦様と阿弥陀如来はどちらが偉いか

斉藤 征雄

 ある飲み会の席で話題になった。

 お釈迦様は仏教の開祖であり歴史上の人物である。しかし死後は次第に超人化されて神話的な存在となった。
 まず、この世に現れる前に長い期間にわたって人や動物に生まれ変わりながら修行を続けたという前世物語が創られた。そして大乗仏教の法華経ではますます理想化され、お釈迦様がこの世に生れて悟りを開いたというのは仮の姿で、実は無限の過去に悟りを開いてずっと人びとに教えを説き続けてきたのが真の姿とされた。これを久遠の本仏という。つまりお釈迦様は永遠不滅の存在としてわれわれの住む娑婆世界を見守っておられるということである。

 阿弥陀如来は、大乗仏教の浄土経典の中で創作された仏である。西方はるかかなたの極楽浄土に住んでおられる。修行中は法蔵菩薩という名前だった。
 法蔵菩薩は、現世は五濁に汚れた穢土であり凡夫が自力で悟りを開くのは難しいと考えた。そこで、清浄なる仏国土を作って衆生を招き救済しようと思い四十八の誓願をたてた。その十八番目の願が「人びとが私の作った国に生まれたいと願って念仏を唱えたが仮に生まれることができなかったならば、私は決して成仏しないだろう」というものだった。
 その後、気の遠くなるような期間を修行して遂に悟りを開いて阿弥陀如来になり極楽浄土を作ったのである。そこは清らかな世界で、無数の修行者が仏になるための修行をしている。そして、阿弥陀如来を信じて南無阿弥陀仏を唱えれば誰でも極楽浄土へ生まれ変わることができるのである。しかも日本の浄土真宗では往生即涅槃、つまり極楽浄土に生まれることが即ち仏になることだという。

 さて、どちらが偉いか。
 お釈迦様がいなかったら阿弥陀如来も生まれなかったことを思えば、お釈迦様が絶対である。しかし一方で、浄土経典では阿弥陀如来は三世十方の諸仏の本師と位置づけるから、娑婆世界にいるお釈迦様はその弟子ということになる。
 凡夫の私にはこれ以上のことはわからない。

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