白神山地と山の民
10月下旬、秋色の白神山地を歩いた。黄色一色のブナの原生林は、神秘的な雰囲気だった。
かつてマタギが歩いたという道を辿る。どの案内標識にもクマの爪跡が残されていた。クマが縄張りを主張しているのだという。道端のブナの幹に人の名前が刻まれていた。マタギがクマを仕留めたとき山の神に感謝の儀式をした跡で、ナタメといわれる。この山ではつい最近までマタギが実際に生活していたのだ。
日本に稲作が伝わった時、多くの人びとは水田耕作の生活に移行したが、山中でそれまでの生活を続けた人たちもいた。こうして山を生活の本拠にする一群の山の民が形成された。
山の民は狩猟を行う人びとばかりではない。材木の伐採に携わる杣人やその運搬を業とする者もいた。材木は川で筏に組んで流して運ぶ。筏を組めない上流では一本ずつ流す。それに乗るのが木曽節に歌われる中乗さんだ。彼らも山の民である。
木工の民もいた。木地師といわれる職人が、山を移り住みながらブナやトチなどをろくろで加工してお椀やお盆の木地を作る。その技術を使って作られたのがこけしで、木地師の副業から生まれたものである。ろくろを使わない木地師は主に杓子や鍬の柄などを作った。
鉄の生産も山の仕事だった。カンナ流しで取った砂鉄をたたら精錬して銑鉄を作り、それを玉鋼にする。精錬には大量の木炭を必要とした。中国山地などで良質の砂鉄が出たので、多くの人が山で製鉄の仕事に携わった。木炭にする木がなくなると集団で山を移って次の山での生活を送ったのである。
山を渡り歩いて修行する山伏も山の民である。特に山伏の下っ端である強力は、山で物資の運搬を担う運輸労働者でもあった。
その他、くぐつと呼ばれる芸能を生業とする者も現れた。男は軽業のような芸をし、女は歌い舞って遊び女として商売をしたといわれる。
山には特有の気がある。白神の山の気に包まれて目をつぶると、風の音とともに山の民が呼び起こされるような錯覚を覚えた。