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「800字文学館」

「あゆ」は八歳?

馬場 真寿美

 うちから目と鼻の先に一軒の畳屋さんがある。
 以前は、作業場で精を出すご主人の姿をよく目にしたものだが、最近ではとんと見かけなくなった。ただ、その軒先には一匹の柴犬がつながれていて、見映えは大して良くないものの、それでもご主人はとても可愛がっているのか、一緒に散歩している彼らによく出くわした。
 私も小さな犬を飼っているので、散歩の途中で通りかかった折、ご主人からその犬の名前を教えてもらった。「あゆ」というのだそうだ。
「あゆちゃんは何歳?」「八歳だよ、まだまだ若いよ。そっちは?」「もうすぐ三歳です」「三歳! 若くていいねえ」
 私たちは、すれ違えば飽きもせずに、いつも同じ会話を交わし合った。畳屋さんのご主人は若年性アルツハイマーを患っていたのだ。
 ある朝、ご主人とあゆちゃんの後ろ姿を見送っている奥さんを見かけたが、なぜか涙ぐんでいる。
「どうしたんですか?」と私が声をかけると、
「あゆが不憫で……。あの人は散歩に行っても行った先からすぐに忘れてしまうから、あゆは一日中連れ回されて……」と声を詰まらせた。
 わぉ! だけど、散歩の嫌いな犬はいない。
「でも、あゆちゃんだって、何度も散歩ができて案外ラッキーと思ってるかも知れませんよ」
 私は奥さんの気持ちを引き立てようと、わざとはしゃいでみせた。
「だけど、もう十三歳だもの。しんどいに決まってるわ」
 へっ? 八歳……じゃないの?
 中型犬の十三歳といえば、人に換算すれば八十近い。
 後日、ご主人と出会ったとき、それとなく聞いてみた。
「あのう、あゆちゃんは十三歳だって奥様がおっしゃってましたけど、本当はいくつなんですか?」
 するとご主人は、はてと首を傾げ、「えーっ? もしかして、あいつとうとう呆けたのかな? いや、待てよ。俺が呆けてるのかな?」と、しきりに首を捻っていた。
 それからというもの、畳屋さんの前を通るときは、あゆちゃん用にグルコサミン入りのおやつを、私はいつもポケットに忍ばせている。

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