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「800字文学館」

文章は難しい

野瀬 隆平

 文章を書くのは難しい。
 クラブの文章勉強会に参加して十数年たつ。いまだに月二編ほど、短い文章を書くのにも苦心している。問題は二つある。

 一つは、何を書くかである。是非みんなに読んでもらいたいと思う題材をどう見つけ出すかだ。何年も書く修行をしていると、普段の生活の中で、無意識のうちに題材を探し出すように物事を観察している。そのせいか、以前より苦労は少なくなったように感じる。
 ある作家は、考えあぐねているより、先ずは机に向かってペンをとれという。言い換えれば、パソコンの前に座りキーボードに指を乗せることか。書き始めると、自然に筆が進むという経験は誰にでもあるだろう。
 実を言うと、この文章も漠然と心に浮かんだこと、「文章を書くのは難しい」と打ち始めて書き出したものだ。

 さて、もう一つは、いかに読む人の興味を引き、伝えたいことを分かりやすく書くかだ。文章作成の技法・作法といわれるものである。
 昔から名だたる作家が指南書を書いている。いわゆる「文章読本」といわれるものだ。元祖、谷崎潤一郎を始め三島由紀夫、井上ひさしなど、読本は星の数ほど書かれている。学ぶべきことも多いが、先生によって教えが異なる場合があり、読み比べて見ると、誠に面白い。

 ところで、こんな文章がある
「いま僕自身が野間宏の仕事に、喚起力のこもった契機をあたえられつつ考ええることは、作家みなが全体小説の企画によってかれの仕事の現場にも明瞭にもちこみうるところの、この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度をとることなしには、かれの職業の……」
 延々とこの三倍の長さになって、やっと「。」が現れ、一つの文章が終る。この名文、いや悪文? を書いたのは、ノーベル賞作家の大江健三郎である。理解しにくい文章の例として、ときたま引用される。文学作品ならともかく、多くの人に理解してもらうのが目的の論評文である。
 こんな文章は私には書けない。いや書きたくない。

『職業としての作家』大江健三郎(別冊 経済評論 1971年 春季号)

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