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「800字文学館」

米国の大和魂

稲宮 健一

 会社に入社した頃、もう半世紀も前になる。配属先はレーダー技術課、そこで、米国の文献に、戦争中に爆撃機から撮影した航空写真とまがう関東地方のレーダー画像が載っていた。あの空襲の手の内の一端を見せつけられ、衝撃を受けたのを覚えている。

 レーダー開発は戦前英国を中心に、日本も含め戦争当事国で着手されていた。米国は戦争中この基礎を基に短期間に集中的に開発を進め、戦地で容易に操作できる完成品を創り上げた。ここでは戦争の恩讐を離れて、一つ目的にシステムの完成に取り組む心意気の感想を述べる。
 1940年、MITのRadiation Laboratoryに、十八名の著名な物理学者やノーベル賞受賞者が中心となる知能の核が拠点を構えた。核は司令塔で、全米、カナダ、英国の技術者の共同作業を統率し、目指す武器の構想を共有した。総合指揮のため、週一の方針会議を持ち、配下への指揮と状況把握行った。専門分野である、特定なサブシステム、高出力マイクロ波の発生、安定した微弱電波の受信、目標物の兵士への表示など、分野毎にグループを結成し、システムの完遂に寄与した。一時期3500人が参画した。癪に触るが、彼らの瞬発力には脱帽である。

 その成果は戦争終結直後にRadiation Laboratory Series、二八冊の技術文書にまとめ発刊され、戦後花咲くマイクロ波工学の原典になった。レーダーのシステムから始まり、各サブシステムに至る広い範囲を詳細に記述している。第一巻の巻頭言に広い範囲の人の寄与があったことが述べられている。一方、日本では二つの世界初の技術が先行していた。1927年に岡部金次郎はマイクロ波を発振できるマグネトロンを発明した。1926年、高柳健次郎は電子的なテレビ画像を実現した。この優れた基礎技術を点として、実用に供するシステム構築を創り上げることはなかった。

 日本は大艦巨砲を捨てきれず、繊細な配慮を尽くした芸術品のような戦闘機を実現したが、他に実用に供せる画期的な技術は興せなかった。

(二〇一六・二・八/九)

 参考:大恐慌時代に投機で富豪になったAlfred Loomisが私的な研究機関を作り、技術課題に対して財政面から研究を支えた。

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