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「800字文学館」

江戸三山縦走記(飛鳥山編)

池田 隆

 田端は大正初期から昭和初期にかけて芥川龍之介を中心に多くの芸術家が住む郊外の住宅地だった。田端文士村記念館に彼の居宅の精巧な縮小モデルが展示されている。洋風の応接間一室と和風の居間や縁側の間取りを見て、幼い頃のわが家を懐かしく連想する。
 往時に想いを馳せながら田端高台通りの富士見橋にさし掛ると、足下を山手線の電車が弧を描き走り抜ける。西ヶ原の平らな台地に建つ女子聖学院の前で東に折れ、崖上の小道に出る。横を京浜東北線や新幹線がつぎつぎと通り過ぎて行く。緩やかな下り道は上中里駅へ。
 都内のJR駅とは思えない閑静さに驚き、駅前の坂を上ると、平塚神社と滝野川公園の緑地帯である。丘の上の遊歩道は快適だが、すぐに国立印刷工場の広い敷地に行く手を阻まれる。崖下の狭い歩道を抜けて七社神社の前に出る。清楚な境内は飛鳥山公園の入り口に続く。
 渋沢栄一の旧邸宅と庭園を巡った後、公園中央の桜並木を進む。風光明媚なこの丘に徳川吉宗が桜を植林させ、広大な遊園として庶民にも開放したとのこと。目指す飛鳥山の頂上は何処だろうと見回しているうちに、尾根道は石神井川の谷で断ち切られる。対岸の丘には王子神社の大屋根が見える。江戸期にはここへ堰が造られ、その溢水が大滝として喜ばれ、近くには茶屋などが建ち並んだという。
 上野山、道灌山、飛鳥山と、江戸三山の縦走を完遂した。公園の一角にある飛鳥山博物館に立寄ると、当地域の地勢の説明に目がとまる。縄文海進時の波蝕で三山に沿う崖が形成されたこと、石神井川が波蝕で細くなった飛鳥山の尾根を突き破り川筋を変えたこと、その谷へ灌漑用の堰を設け水流を三分したこと等々。抱いてきた特異な地勢への疑問が解けていく。
 三分した支流の一つは長い崖に沿って流れ、途中で向きを変え吉原から山谷堀へと通じていた。江戸の人たちはその水路を舟で遡りながら、屏風絵巻のような景観を眺め、王子まで遊びに来ていたのだ。

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